高校留学体験談

ニュージーランド高校留学の体験談

短期・長期留学編

NZを選んだのはゴルフの環境の良さがきっかけ。充実した留学生活を送ることが出来ました。(母親)

1)留学に至った経緯

息子は小学校からゴルフをしていて、できればゴルフができる学校をと探していたところ主人がニュージーランドはゴルフの環境は凄く良さそうだぞと息子に『行くか?』と聞いたら即答で『行く!』と。これで留学することが決まりました。 最初の2年間は他社のエージェントさんでお世話になっていましたが、息子にとってその学校はレベルが高くてもっとゴルフの練習ができて留学生に手厚い高校に転校したいとアッシュバートン高校への転校を希望していたところニュージーランド留学情報センターさんの存在を知り相談してみると担当の方の冷静且つ的確なアドバイス、迅速な対応に感動し全てをお任せする形となりました。

2) 留学中大変だったこと

息子は3回ホームステイ先を変わったのですが食事が一番大変だったと思います。最初のホストはアジア系の家で野菜中心で量も少なくまだ英語がうまく話せない時期だった為10キロ近く体重が落ちてしまい心配しましたが、そのうちホストの許可を得て自分で食べたいものを簡単に作って食べたりしていたようです。2番目のホストは老夫婦の家でこちらも野菜中心だった為友達と良く外食をしていたと言っていました。3番目は小学生のお子さんのいる家で料理も上手な家だった為ロックダウン中にも息子は料理を教えてもらったり作ったりしていました。最後のホストファミリーとは旅行にも行ったり帰国してからも連絡を取ったり良い関係が続いているようです。息子は割とどの家庭にもこだわりなく柔軟に対応できたのではないかと思います。ホームシックも一度もかからず、その点は助かりました。

3) どのようにエージェントを選択したか

うちは最初にお世話になったエージェントさんも良くしてくれていたのですが、転校という息子の希望に少し消極的だった為、他社さんの意見も聞いてみたいと思ってネットで検索していたところニュージーランド留学情報センターさんを見つけてすぐ相談した感じです。すると息子の希望を聞き入れてくれ、すぐに希望する高校とコンタクトを取ってくれ面接ビザ取得と話が進んだ為思い切って変わる決断をしました。留学の時間は貴重で迅速に決断しなければならない時があります。あの時ぐずぐずしていたら、後半の充実した留学生活はなかったと確信しています。もちろん最初にお世話になったエージェントさんから円満に変われたのも、ニュージーランド留学情報センターさんのおかげです。本当に感謝しています。

4) 留学前の準備

高校をニュージーランドで過ごして卒業することを決めたわけですが、ニュージーランドの高校に全く知識がなかった為不安でした。何をもって卒業とするのかすら知識がなく、大学は日本で行くつもりでしたので帰国子女枠で受ければいいと漠然と考えていました。息子はゴルフのできる大学に希望していたので帰国子女で受けるところ総合選抜で受けるところなど、もっと事前に調べておけば良かったと思いました。大学受験時ももちろん色々と相談に乗って頂きましたが、日本の高校が準備してくれる一切のことを親子でやらなければならない覚悟を持つことが必要だなと感じました。大学に提出する書類も学校ごとに細かく 決められており、その都度必要な書類を急に頼んだり何回も送ってもらったりして迷惑をおかけしたのですが、一度たりとも嫌なそぶりも見せず親身になって寄り添ってくれた留学情報センターの担当者さんには感謝の気持ちで一杯です。

5) 現地サポートのスタッフのみなさんへ

一度もお会いしたことがないのにこんなに信頼関係があると感じるのはなぜだろうと思うのですが、、最初から最後まで本当に誠実かつ迅速な対応、この積み重ねがあったからこそだと今感じています。シンプルですが中々難しいことではないかと思います。不安なことや聞きたいことがあると私はすぐにメールしていたのですが次の日にはすぐに返信があり、それだけで安心したものでした。 いつでも冷静にこちらの困っていることや知りたいことを受け止めてくれて、的確なアドバイスを下さるので本当に相談し易く安心しておりました。 クライストチャーチでテロがあった時も現場の様子を逐一知らせてくれ、不安は一切感じずに過ごすことができました。受験の時も細かくアドバイスを頂き、こんなことも知らないのかと思う質問もあったのではないかと思うのですが、その都度丁寧に答えて下さり心が折れそうになった時期も支えてくださいました。 本当に感謝しています。これでお別れというのが寂しいくらいです。 最後になりましたが本当にお世話になりました。これからもたくさんの留学生の力になってあげてください。ニュージーランド留学情報センターのこれからのご発展をお祈りいたします。

留学中の最終学年にロックダウンを体験。でも日本の志望校に合格しました。

1)なぜ留学しようと思ったのでしょうか。

日本だけではなく外の世界を見てみたいと思ったからです。

2)留学を決意するまでどんな気持ちでしたか

ニュージーランドという国に行ったことがなかったうえ、英語もそこまで喋れるわけでもなかったのでとても不安でした。それに加え、高校入学等の手続な どに関しても少し不安でしたが、その点に関してはニュージーランド留学情報 センターの方が手取り足取り教えてくださったのでとてもありがたかったです。

3)ニュージーランド到着時の気持ち、驚いた事などあれば書いてください。

これからどうなるんだろうという不安で心がいっぱいでした。

4)語学学校について

私は三カ月間 Unique NZ という語学学校にいたのですが、そこで過ごした三カ 月間はとても楽しかったです。語学学校では自分のような、高校に向けて英語 を学びたいという同じ目標を持った子がたくさんいたので色んな国から来た子 とすぐに仲良くなれました。また、Unique NZ では頻繁に先生たちがいろんな 楽しいイベントを企画してくれたので三カ月の語学学校生活も飽きることなく 毎日とても楽しく過ごせました。

5)現地学校について

私は Glendowie college という高校に三年間通いました。最初の一年はやはり英語だけではなく、勉強面でもほかのネイティブの子と一緒に勉強をするのでついていくのが大変でした。でも最初の一週間一緒についていてくれたバディやその友達の子たちがとてもやさしくて、私が間違った英語を話しても笑わずに真剣に聞いてくれるのでどんどん話すことができ、英語を上達することが早くできたと思います。それもあって二年目以降からは英語に苦労することなく楽 しい高校生活を送ることができました。

また、中学校の時吹奏楽部に所属していた私は高校でコンサートバンドに入ることにしました。コンサートバンドを はじめ、ニュージーランドの部活は日本に比べて練習頻度が少なく、勉強やほかの活動と両立することができたし、新しいキウイの友達もたくさん作ること ができました。それに加え、私が通った Glendowie college は音楽活動が盛んで私が所属したコンサートバンドも頻繁にイベントがあり、2020 年もネイピアに演奏旅行に行く予定でしたが、コロナの影響で中止になったので残念でした。

6)ホームステイについて
私を迎えてくれたホームステイはおばあちゃんが一人で暮らしていたところで、 私を実の子供のようにかわいがってくれました。また、お孫さんやおばあちゃ んの娘さんなどもよく家にきてくれて一緒に遊ぶこともあってとても楽しかったです。でも、試験期間の時などは気を使って静かにしていてくれたり、たま に差し入れもくれたりしてとてもありがたかったです。おかげで三年間ホーム ステイを変えることがなく、そこにいることができたので、ホストファミリーとの絆も深めることができたと思います。

7)現地での大学受験対策について、また今後の進路について

現地では year13 が始まったころからTOEFLの成績が大学に必要なので TOEFL 講座を受けに行っていました。また小論文も塾天でやっているレッスンを受けに行きました。そこで助けてくれた先生方のおかげで無事、志望大学に合格することができ、来年からはニュージーランドで学んだ物理などの勉強を生かしながらエンジニアリングの道に進みたいと思います。

8)コロナ渦の留学について

コロナがひどくロックダウンした期間は学校がすべてオンラインで友達と会え なく残念でしたが、そのかわりホストファミリーと一緒にクッキングしたりと普段はできないことも体験できました。またコロナについてニュージーランド と日本の政府の対応の違いなどを比べるのも面白かったです。

9)ニュージーランド留学情報センターについて

ニュージーランド留学情報センターはオフィスがニュージーランドにあるので困ったことがあればメールのやり取りだけではなく、実際にオフィスに行って エージェントの方とお話しすることができるのでとても安心できました。また、 エージェントの皆さんには学校の書類から生活面のことなどいろいろ助けてい ただき、いつでも自分の話を聞いてくれるというエージェントの存在が留学中、 一つの心の支えでもありました。本当にありがとうございました!

10) 後輩へのアドバイス

今、コロナなどの影響もあり留学するか迷っている人がたくさんいると思いま すが、迷ったなら行くべきだと思います。視野が本当に広がるし、将来の夢も 見つかるかもしれないし何より大切な友達をたくさん作ることができると思い ます。海外に、しかもこのコロナの時期に行って生活するということは、すべ ての人ができるわけではないとても貴重な体験だと思うので、不安な気持ちが あるのはよくわかるけど、勇気をもって挑戦してみるべきだと思います!

ホームステイは結構大変だったけど、最後は最高の家庭へ滞在、最高の思い出に。

なぜ留学しようと思ったのでしょうか。
理由は単純に『英語が話せるようになりたい』と思ったからです。私の通っている日本の高校が英語学習に力を入れており、帰国子女や幼いころから英語塾に通っている同級生が多くいました。しかし、私は過去にそのような経験が無く、入学後の英語の授業でかなり苦労したのと、自分の英語力のなさを痛感したことから、留学することを決意しました。そして、私の母親が、ニュージーランドでワーホリ経験があったため、母の勧めでニュージーランドに留学することにしました。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか? 不安だったこと、期待したことなど。
留学前に唯一不安だと感じたことは、『言葉も文化も違う国に行って一人でやっていけるのか』ということです。しかし、行ってしまえばなんとかなるでしょという気持ちの方が大きくて、一刻も早くニュージーランドに行きたいなと思っていました(笑)。地元にいる仲の良い友達との別れは寂しかったですが、出発直前は、不安よりも、これから始まる海外での新生活に胸を躍らせていました。

ニュージーランド到着時の気持ち、驚いた事など。
到着後に一番驚いたことは、同じ飛行機で来た人の中に、多くの学生さんが乗っていたことです。私が到着した日が1月末で、新学期の始まる直前だったのもありますが、ニュージーランド留学をする日本人の高校生や大学生の多さにびっくりしました。それだけ、若い学生さんが長期間の留学をすることがポピュラーだと知ったのと同時に、同世代の高校留学をする仲間に負けていられないなとも思いました。
空港からホームステイに行くまでの道中に初めて見たニュージーランドの景色は、車が左側走行であり、日本の有名な自動車会社がたくさんあって、異国感はあまり感じなかったです。

語学学校について
私は、ニュージーランドに来る前に1ヶ月間、フィリピンのセブ島にある語学学校に通っていました。二ヶ国留学をした理由は、フィリピンの語学学校での費用が、ニュージーランドで語学学校に通うよりも圧倒的にリーズナブルで、1日8時間の授業を取ることができ、短期間に集中して基礎英語を身に付けられると思ったからです。スパルタな学習環境が確保できるほかに、フィリピンでしかできないアクティビティも楽しみました。特に、休日にビーチに出かけたことや、スラム街でのボランティア活動をしたことが心に残っています。そして、高校生のうちに発展途上国でもある国で生活できたことが貴重な経験になりました。

現地学校について 期間:2020年1月26日~11月5日(4ターム)
学校選びをする際、オークランドの郊外にあること、小規模校であること、留学生へのサポートがしっかりしていることの3つを条件に、エージェントさんに候補を出してもらいました。私が在籍していたOne Tree Hill Collegeは、この3つの条件が揃っていたのと、留学生に向けた数学の補講もあり、安心して学校に通うことができました。1200人規模の学校に、留学生の人数も多いときで20人強と、オークランドの高校の中ではかなりアットホームな学校です。

留学当初は、授業の内容が全く分からず、ニュージーランドと日本の学校のシステムが全く違うため、慣れるまでは学校に行くのがとても憂鬱でした。
私が特に難しいと感じたことは、アセスメントのほとんどがパソコン作業だったことです。日本では紙容体での教育が一般的なので、パソコンの使い方なんて全く知りませんでした(笑)。友達にパソコンの使い方を教えてもらうところから始まり、英語の文章を書くのも時間がかかってしまうので、アセスメント提出まで現地生の数倍も時間がかかってしまいます。しかし、友達や先生に協力してもらい、何とか全てのアセスメントを期限内に提出することができました。困ったときに手を差し伸べてくれる友達や先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。留学生活も半年強が経った頃からは、授業の理解度が徐々に上り、友達ともさらにコミュニケーションがとれるようになったことから、学校生活が少しずつ楽しくなっていきました。

今年は新型コロナウイルスにより、多くのイベントがキャンセルされ、例年通りにいかないことも多くありました。3月末から5月中旬まで、それから8月中旬にはロックダウンで学校に行くことができず、その間はオンライン授業を受けていました。私の学校のオンライン授業は、教科ごとに出されたワークを、基本的には個人で進めていき、各教科のzoomミーティングに参加するというシステムでした。対面授業とは違い、即座に質問できないため、困ることも多々ありましたが、その都度、先生にメールを送って、自分なりに解決をしてきました。全く予期せぬことが起きた2020年でしたが、全てを含めて、今では良い思い出です。

ホームステイについて
私は1年留学をする人の中では異例ですが、1年間で4軒のホームステイにお世話になりました。(コロナ禍でホストチェンジを余儀なくされるケースもありました) ホームステイは私の留学生活で一番大変だったことの一つです。ホームステイといっても千差万別で、私がお世話になったホームステイには、本当の娘のように接してくれる家庭から、たくさんの細かいルールを提示してくる家庭もありました。

2ヶ月間のロックダウン中は、ホームステイ先でずっと過ごさないといけなかったため、大変だなと感じることが多くありました。特に、私がロックダウンを一緒に過ごした家庭は、私に対してあたりがすごく強く、何事に対しても神経質なホストファミリーだったので、毎日、窮屈で辛い日々を送っていました。しかし、せっかくの2ヶ月を無駄にはしたくなかったので、できる限りホストファミリーと関わるようにしました。ロックダウン後も、できるだけ自分の部屋にはこもらず、ホストファミリーとの関りを大事に過ごしました。

4軒のホームステイの中でも、私が半年以上お世話になったホームステイは、マザーだけのお家でしたが、ホリデーになると旅行に連れて行ってくれたこともあり、とても楽しい時間を過ごすことができました。料理がとても上手な方で、休日には、マザーとファーマーズマーケットに行って材料を買った後に、一緒に料理をすることもありました。いろんなホームステイを経験して、それぞれの家庭ごとの文化の違いを大いに感じることができました。

今後について
留学中は日本の高校を休学していたため、帰国後は1つ下の学年の子たちと一緒に勉強します。1年間の留学で、私の英語力は確実に上がりましたが、もし英語を使った仕事をするなら、もっと練習が必要です。私は、ニュージーランド高校留学の経験を生かして、日本の高校を卒業後に海外の大学に進学したいと思っているので、帰国後も英語力が落ちないような勉強をしていきたいです。

ニュージーランド留学情報センターについて
留学初日から帰国日まで、困ったときにすぐに対応してくださったエージェントさんには本当に感謝しています。新型コロナウイルスにより、外出制限や休校措置など、初めてのことばかりで不安になることもありましたが、コロナウイルスの危険レベルが変わるごとにzoomでミーティングを開いてくださったり、個別に気軽に相談できたりして、コロナ禍でも安心して過ごすことができました。ニュージーランド留学情報センターのオフィスもシティーの真ん中にあり、すごく便利でした。

後輩へのアドバイス
日本とは違う環境に飛び込むことは誰にでも勇気がいります。しかし、高校生でニュージーランドに留学することは、きっと良い経験になると思います。私自身も、1年間の留学でしたが、身の回りのことは自分でできるようになり、将来への自信もつきました。今後も、多くの方がニュージーランドに留学して、素敵な留学生活を送れることを願っています。

ここまでの事は私達の力だけでは到底為し得なかったと実感した留学でした。(母親)

■ 留学の決意

海外という広い世界があるという事を知らせたいという思いがあり、小学校高学年の頃から子供だけの海外団体旅行に何度か参加し、本人の向き不向きを探ってきました。

■ ニュージーランド留学情報センターとの出会い

中学3年生の時にニュージーランド留学情報センターの手配で初めてニュージーランドへ1週間個人宅でのホームステイを体験しております。それをふまえ、いよいよ進路を決めなくてはならない時に手配等をお願いしました。徳永様に東京で面談した際にも、いわゆるセールストークというのは全くなく、こちらの質問に淡々と答えてくださるというものでした。聞いたこちらも、子ども本人も含め、落胆も浮かれることもなく冷静に子供の進路を探る事ができたと思います。

■ 語学学校・現地高校とその生活

まずニュージーランドに単身で渡るという事だけでも子供を褒めてやらなくてはならないと思います。3年間行っていいよと言われて、果たして自分なら首を縦にふるだろうか?という事です。もちろんきっかけを作ったのは親ですが、行くと決めたのは彼女です。でも、出発前にしろ出発後にしろ、子供が嫌だと言い出したなら撤退するしかないという事はいつも考えていました。もちろんテロなど不測の事態も想定して。

日本にいるとしたらどこの高校に通いたいかも話し合い、出国した後に行われる高校の受験で、せめて1月に戻れば受けられるという複数の学校の受験料を支払って万が一の事態に備えておきました。

そのように親子それぞれが覚悟を決め、出発する子供を任せるエージェント。短期留学の手配も含め、手続き自体は私にとってはとても大変な事でしたが、エージェントにたいする不信や不安を感じる場面はありませんでした。私の場合、他のエージェントに問い合わせや利用をした事がないのでよくわかりませんが、幸運だったのかもしれません。

向こうに渡りましてからも、ニュージーランドの現地の学校の留学担当の先生からも、徳永さんのエージェントはすぐに対応してくれるので(音信不通となってしまうエージェントもある)、安心だったと直接伺っております。

留学中は本人も色々思う事が(きっと)あり、ニュージーランド留学情報センターのスタッフの皆様にお手を煩わせる場面も多々あったと思います。自由な空の下、親の声は遠すぎて聞こえないかもしれません(またそれも良しとして送り出したというところもあります)。逆に強く言い過ぎたりメールで文字にしてしまうとそればかりが本人の中に残り、思ってもみないような形で影響があらわれます(進路決定の時に痛感しました)。そんな時エージェントの存在、距離感が大事だと思います。たとえ子供であっても、出来る事と出来ない事がはっきりと示される、はっきりと思いを口に出してこそ築かれるというエージェントやホストファミリーとの関係構築のありかたは、日本で暮らしていると慣れないものですが、今後益々重要なスキルとなっていくのではないかと思います。

日本に無事帰国して希望の大学に進むことができた今、ここまでの事は私達の力だけでは到底為し得なかった、エージェントとホストマザーさんに感謝だよと話すと、子供もしみじみとうなずいております。ありがとうございました。

<追記>上智大学法学部と早稲田大学国際教養学部に合格

高校留学中にパイロットになる事を決心。夢に向かってチャレンジ中。

なぜ留学しようと思いましたか?
僕が留学を決意したのは、中学の3年生の夏休みです。当時は、英語の成績が悪く、英語の勉強には抵抗を感じていました。しかし、旅をすることが好きな僕にはいつか海外に行ってみたいという思いがあり、将来は英語が話せる人になりたいと思いました。そのため、高校留学を選択しました。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか?
留学する直前まで、自分の英語力に対する不安はありました。恥ずかしながら日常生活もままならない英語力で渡航しました(笑)。 期待したことは、海外の方々との国際交流を深めて、英語力を向上させることです。

ニュージーランド到着時の気持ち、驚いた事など。
ニュージーランドに到着したときにはこれからの留学生活に期待に胸を弾ませるというより、不安の気持ちのほうが大きかったですね。初めての海外に1人でやってきたわけですから、今思えば不安な気持ちで溢れていたと思います(笑)。 しかし、空港で徳永さんにお会いし、移動する道中でニュージーランドについての様々なことを教えていただくうちに不安な気持ちも解消していったのを覚えています。 その後、着いたホームスティ先ではドア一つでリビングルームと外が区切られていたので驚きました。ニュージーランドには玄関がないですもんね(笑)。

現地学校について
中学校卒業後の2016年3月中旬から4月末までの非常に短い期間でしたが、Browns Bayにあるユニークという語学学校に行きました。 ビーチや商店街が目と鼻の先にある、非常に立地のいい語学学校でした。 英語ができない僕はこの期間の間にニュージーランドの生活に慣れること、またできるだけ外国人の友達をつくりコミュニケーションを図ることを心がけました。 そのため英語のリスニング能力はこの期間で飛躍的に向上しました。 授業もアクティビティーなどを通して英語を学ぶことが多く、非常に楽しい充実したものでした。

現地高校について
語学学校での生活を終え、僕は2016年の5月のはじめの2学期から2018年12月までPakuranga Collegeという現地校に在籍しました。現地校に出向いての第一印象は、先述の語学学校からは大きくイメージの異なるということです。同じ教室にニュージーランド人のネイティブスピーカーがいるわけですからね。笑。授業の内容もニュージーランド人向けに作られているので、進むのが非常に早く最初は理解に苦しみました。しかし、ニュージーランドではアクティブラーニングと呼ばれる主体的な学習制度が行われており「生徒が主体となりお互いがお互いを成長させる」というのが基本なので、授業中でも友達同士で質問し合い疑問を解決しあったり、授業後に先生に質問したりして、落ちこぼれることもなく学業に励むことができました。また放課後には友達とスポーツをしたり、ご飯を食べに行ったり、プライベートの面でも現地校の仲間たちとは非常に充実した生活を送ることができました(笑)。

ホームスティについて
ホームステイは当たりはずれのあるものだと思います。しかし、ニュージーランド留学情報センターさんでは自分のアレルギーや細かい希望も耳を傾けてくれ常に最適なホームステイを提供してくれました。スポーツが好きな僕には、スポーツ好きの2人のホストブラザーがいるホームステイを提供していただき、おかげさまで3年間同じホームステイで楽しい生活を送ることができました。もう気づいた時にはファミリーの一員になっていましたね(笑)。

今後について
僕はニュージーランドの留学経験を得て、自分の夢を見つけることができました。それは「パイロット」です。 ニュージーランドと日本を往復している際に空を飛ぶことの素晴らしさを感じ「パイロット」という職業に興味をもったのがきっかけです。 3年生の始業前にニュージーランドに帰国した際にはコックピットの見学の許可をいただき見学してきました。本当感激しました。さすがニュージーランド航空さんですね(笑) これからも夢にむかって努力あるのみです。

ニュージーランド留学情報センターについて
3年間、非常にお世話になりました。学期末には毎回オフィスにお招きいただき学校の生活の話などを親身に聞いてくださり、また面談の際には学校に来てくださり学校での様子を先生から細かく聞き取り両親に報告していただきました。久我加代美さんをはじめとするエージェントさんのサポートがなければ僕の留学生活はこれほどまでに充実しなかっただろうと日々考えさせられます。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

後輩へのアドバイス
留学生活をいざ始めるとなれば、人一倍大変な苦労をすることがあると思います。しかし、その苦労こそが人を一回り、二回りも自分自身を成長させるものなのです。でも、それをサポートしてくれる人々がいつもそばにいるということと感謝の気持ちを忘れずに! 何事にも本気で、全力で、そしてどんな壁にでもぶちあたってもめげないという志があれば、どんな逆境でも乗り越えられます。自分の未来に憂鬱感を抱いていた僕が留学を通して夢を見つけることができたように!絶対に大丈夫!どんな時も楽しむんだ、未来の留学生!

Pakuranga高校に2年間の留学後に、横浜市立大学へ見事合格

なぜ留学しようと思いましたか?
私は、留学経験のある父に影響を受けたのと、もともと好きだった英語を使って新しいことに挑戦したいという気持ちから、両親と相談して留学することを決めました。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか?
私が留学を考え出したのは日本の高校在学中の時で、留学を決意するまでには、とても悩みました。日本の学校という慣れた環境を離れるのことにすごく抵抗があったり、家族や友達といった、周りで支えてくれる人にも簡単にはあえなくなることが辛く思いました。また、留学先での生活についてもほとんど想像がつかず、留学生活をうまくやっていけるのか、正直とても不安でした。しかしその反面、留学に行った先で、どんな新しいことや人に出会えるのかとそれを楽しみにしている気持ちもありました。

ニュージーランド到着時の気持ち、驚いた事など。

ニュージーランドに着いて新しい生活が始まり、あらゆることが日本と違っていることにとても驚きました。異なる言語、人種、気候、文化、全てが違うまったくの新しい環境で学べることにすごく感激し、わくわくしたのを覚えています。なんといっても、ニュージーランド人のおもてなしの文化は、日本のものとは違うものの、広く、温かく、とても愛情のこもったものだと個人的に感じました。そんな心あたたかいニュージーランドの方々が、私は留学にきてすぐに大好きになりました。

現地学校について
私の場合は、留学に行ったタイミングが一月末で、ニュージーランドの学校の始まる二月直前だったため、語学学校には通わずに直接現地の公立高校に通いました。

現地高校について
私は現地の公立校には、高校二年生から高校卒業までの間まる二年間在学し、学ばせていただきました。初めは英語も自信がなく、授業についていけるのか不安もありまし たが、現地高校の生徒や先生方がとにかく本当にいつも優しく、フレンドリーで、学校で困っているときはいつも声をかけてくれ、また、助けてくれました。 周りの友達が、英語のつたない自分を馬鹿にするのではなく、受けれ入れようとしてくれたことが心から嬉しく、彼らには感謝の気持ちでいっぱいになりました。現地の友達 とのコミュニーケーションから学ぶことも多かったです。また、ニュージーランドの学校は日本の学校と比べて選択科目の種類がとても多く、自分の興味のある分野をより専門的に学べる点が良いと思いました。自分が本当に頑張りたい分野や、学びたい科目がある人は、それに集中して取り組むことのできるので、ニュージーランドの学校は良い環境だと思います。私の場合は体育のかわりとしてダンスに挑戦し、ダンスのクラスでは、ダンスを通して歴史や文化、社会問題を学び、表現するという、貴重な体験ができました。

ホームスティについて
ニュージーランドには多文化を受け入れようという姿勢があるので、ホストファミリーの方々も留学生の受け入れにはすごく積極的だと感じました。私は留学中一度だけホームステイを移動しましたが、どちらのホームステイファミリーも素敵なご家族でした。ホームステイ先では、ご家族ごとにルールがあり、最初は慣れるのに数か月かかりましたが、毎日夕食時にその日の出来事についてお話したり、休みには海にいったり、スポーツ観戦に連れて行ってくれたりと、とてもアクティブで親切な方々でした。留学生活中に大変なことや辛いことがあった時も、ホストの方々はいつもよく話を聞いてくれ、励ましてくれました。ホームステイファミリーのご夫婦とそのお子さん達とは、留学生活の中では一番長く時間を一緒に過ごしたと思います。いつも私を応援してくれて、支えてくださったホストファミリーの皆さんにはとても感謝しています。今もこれからも、彼らは私にとって、大切な家族だと思っています。。

今後について
二年間の留学を終え、将来については、もちろんまだ不安もあります。ですが、日本に戻り、ニュージーランドで学んだことや経験を活かして、日本の大学でより幅広い教養と専門知識を身に着け、何か社会に貢献できることをしたいと思っています。

ニュージーランド留学情報センターについて
ニュージーランド留学情報センターの皆さんには、私が留学に行く一番初めの手続きから、学校やホームステイ先についての説明、なにかトラブルなどがあったときや風邪 をひいてしまった時などのヘルプなど、何から何までお世話になりました。留学情報セ ンターさんのオフィスの方々も皆さん優しくて素敵な方々ばかりでした。また留学エー ジェントの皆さんは今までにそれぞれ違った経験をされていて、いろんな分野の貴重なお話も沢山していただき、とても刺激になりました。普段は、定期的に学校やホームス テイについてお話をしたり、将来のことについて相談に乗ってもらうことが多かったで す。また、私は週に一度の”塾天”で数学の授業も受けさせていただいていました。私が、ニュージーランド留学で色んなことに挑戦し、頑張り続けられたのもニュージーランド留学情報センターさんの温かく手厚いサポートのおかげだと思っています。本当にありがとうございました!!

後輩へのアドバイス
ニュージーランドという場所は、日本とはかけ離れている部分もありますが、多文化とみんなの個性受け入れてくれる、素敵な、笑顔のあふれる場所です。ニュージーランドでは、自分が本当に好きなこと、挑戦したいことにチャレンジができる素晴らしい環境が整っています。留学の際は不安も大きいと思いますが、私たちはいつも一人ではありません。困った時は、いつでもエージェントの方や、ホームステイの方々に頼っていいと思います。留学に来て少し慣れてしまえば、あとは何事も自分次第です! 迷ったとき、不安な時でも、自分の好奇心チャレンジ精神を大切にしてくださ いね!! GOOD LUCK!!

Rangitoto高校に1学期間の留学。短いけれど自分と向き合う事ができました。(本人・母親)

H.Nさんより

なぜ留学しようと思いましたか?
英語の語学力を上げたくて、海外の生活にあこがれていた。外国の学校で現地の生活を体験してみたかった。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか?
私は不安はなく、むしろ楽しみでした。期待したことは、直ぐに英語力は上がるだろうということでした。しかし、出国前に不安はなくても留学生活が始まるとホームシックになったり、自分の英語力のなさに驚き伝えるのに必死でした。

ニュージーランド到着時の気持ち、驚いた事など。
留学は初めてで、驚いたことは沢山ありました。食文化だったり、環境の違い、ニュージーランドは日本と逆の季節だったので5月6月なのにもの凄く乾燥したり、だけど、3ヶ月留学は本当になれた頃に帰国でした。

現地学校について
語学学校では、毎時間90分×3コマの時間割りでもの凄く長い授業だったけど、毎時間先生も代わるし、色々な国の友達と放課後に遊んだり、お昼を外に食べに行ったり、NZ以外の国の文化も学べました

現地学校について
期間は1ターム(学期)だけでした。Rangitoto Collegeは本当に沢山の留学生がいて、色々な国の人もいて、Japaneseの科目は留学しながらも日本語を学べるし留学生も結構Japaneseをとっている子がいるのでそこで仲良くなったり、お昼を一緒に食べたりしていました。

ホームスティについて
最初は文化の違いで ”お風呂は5分以内”だったり食文化の違いだったり最初は慣れないけどホストは優しくてご飯も美味しくてとても充実した3ヶ月でした。。

今後について
今後の目標は英検取得して今まで以上に英語力を上げることです。

ニュージーランド留学情報センターについて
本当に優しく、語学学校中は近くに留学情報センターもあって不安もなく過ごせて、Collegeになると少し遠くなり不安だったけど、担当の方はもの凄く親切にしてくれて不安はありませんでした。

後輩へのアドバイス
日本での3ヶ月間とニュージーランドでの3ヶ月間では、本当に違いました。「明日もあるから」と言って私は生活してきたけど、本当に ”その日”に出来る事は今する事をオススメします。本当にあっという間の留学生活です。後悔するなら楽しんだ方が勝ちです!

—– 保護者様より

留学の決意
日本の高校では国際化に在籍していますが、なかなか成績が伸びず、進路にも二転三転していたので思い切って海外で勉強すればしっかり自分と向き合うチャンスになるだろうと思い計画しました。

入学当初の様子
何においても動じる事なく、本来の性格のおかげだと思いますが、心配いりませんでした。逆に日本人生徒との接し方も少し距離を置き、出来るだけ外国人学生と繋がりを持ちたいと積極的に本人も行動していたと思います。

ニュージーランド留学情報センターとの出会い
失敗は出来ないと思い、いろいろなエージェントとコンタクトを取りましたが、いつも迅速かつ親切、的確な案内と担当して頂いた並木様にだんだんと親しみを感じ、気付けば留学相談のやりとりを御社に一本化していました。

語学学校・現地高校とその生活
語学学校での生活はほんのわずかでしたが、そこで出会った他国の友達との交流は現地高校へ移った後も続いたようです。帰国1ヶ月前程からは、本人より留学を延長したい帰りたくないと毎日のように連絡が入る程生活は充実していたようです。

現地の生活に慣れるととても居心地が良くなり、日本に帰りたくないと思った事も。

なぜ留学しようと思いましたか?
中学3年生の頃、母から留学してみたら?と言われたのがきっかけです。その頃は海外に全く興味もなかったので行かないと言い続けていました。しかし、高校に入学しテストの多さや宿題の量にめんどくさいと感じて留学しようと決意しました。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか?
日本語でも理科や数学の理解に苦しんでいるのに英語でその授業を受けても理解できるはずない!と、そればかり考えていました。また、知り合いからNZの体験談を聞くと、その人のホームステイ先の夜ご飯には毎日山盛りのグリンピースと人参が出たと聞き、その2つは私の嫌いな食べ物ベスト2なのでやっていけるかな、、と不安で仕方がなかったです(笑)

ニュージーランド到着時の気持ち、驚いたことなど。
空港でホストファミリーと対面した時、まず英語を話す速さに驚き、言ってる意味もわからずワクワクから一瞬でこの先が不安になったと同時に日本に帰りたいと思いました(笑)ニュージーランドは田舎と聞いていたのですが私の想像をはるかに超える田舎でした。

現地学校について
私はYr11の4ヶ月間とYr12の1年間をネーピアで過ごし、Yr13でオークランドに転校し、対照的な二つの学校を体験することができました。ネーピアの学校は全校生徒が1000人ほどの中規模な学校でした。留学生も50人ほどで少人数なため、インターナショナルの先生も一人一人に丁寧な対応でした。また、留学生のイベントや現地の学生VS留学生のスポーツ交流が多くあり、みんな仲がよかったです。一人一人の誕生日には大きなケーキを用意してくれるのでみんなそれが楽しみでした。オークランドの学校は全校生徒2000人ほどの大規模な学校でした。そのため学校がとても広く、初めの頃は自分のクラスにたどり着くのも大変でした。留学生が多かったこともありイベントなどもなく、グループにも分かれていたので、全員仲良しということはなかったです。インターバルとランチタイムはテーブルの取り合いでした(笑)授業全体を通して、ネーピアよりもレベルが高かったです。初めはついて行くのが大変でしたが、先生や現地の生徒がとても助けてくれました。慣れてきてからの授業は楽しかったです!

ホームスティについて
私は三つのホストファミリーを経験しています。1番初めは少し厳しかったですが、ご飯は一番美味しかったです。2番目は小さい子供が二人いて賑やかな家でした。一緒にプールに入ったりかくれんぼや鬼ごっこやボールでよく遊んでいました。ホストマザーが私の通っている学校の先生だったので、とても楽でした。活発なファミリーだったので、海やサイクリングやピクニックに連れていってくれました。最後のホストは、20年以上留学生を受け入れてるということもあり、対応がとても慣れていました。また、ホストファザーが日本が好きでよくお好み焼き、焼きそば、寿司を一緒に作ったりしました。私は週5でサッカーをしていたのですが、毎日送り迎えをしてくれたり、とても優しかったです。1番慣れてきていたからというのもありますが、第2の家族と思えるほど居心地の良い家でした。

今後について
日本の大学に合格しました、大学でもう1度留学したいと考えています。

ニュージーランド留学情報センターについて
親切でたくさんお世話になりました。もし何か困ったことに直面しても情報センターのスタッフさんがいるから大丈夫!と自分の頭の中にありとても心強い存在でした。(塾天「帰国子女受験サポート」を利用して、)大学受験で必要な書類を何度もお願いしました。本当にありがとうございました。

後輩へのアドバイス
慣れるまでは大変ですが、慣れたら日本よりも自由でのんびり暮らせてとても住みやすい国です。私は一時期、本当に日本に帰りたくないと思っていました。しかし、やっぱり日本食が恋しくなったり家族や友達に会いたくなりました!日本食レストランやスーパーもありますが好きなものは日本から持参することをオススメします。私はスーツケースの半分が日本食でした(笑)留学で出会った他国の留学生とお互いの国に戻った今でも毎日連絡を取り合っており、ずっと友達です。またクラブ活動などに参加した方が友達はたくさんできると思います。とてもいい経験ができ、楽しい留学生活でした。

留学中は辛いことも楽しい事もたくさん経験し、成長しました。(本人・母親)

なぜ留学しようと思いましたか?
私は帰国子女で4歳から13歳まで海外で過ごしました。日本に住んだことがあまりなかったので帰国したときに日本になじめませんでした。英語圏ではなかったので英語が全く話せませんでした。また海外に行きたいと思いが強く留学を決意しました。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか?
不安は一切ありませんでした。逆に日本の生活から抜け出せるととても期待して楽しみにしていました。

ニュージーランド到着時の気持ち、驚いたことなど。
空港で職員と話すときにやはり英語なので戸惑いました。また最初のホームステイ宅についた時も自分のことを伝えないといけないしネイティブの人と英語で話したことなかったので大変でした。

語学学校について
私が行った期間は、最初に着いた時の2週間と高校から転校して行った3か月です。 最初の2週間は日本人の同世代の子たちと一緒にいることが多く、英語を話すことは授業以外ではあまりありませんでした。 3か月行っていたときは日本人が少なく韓国人や南米の人とよく遊んでいました。先生方もすごくいい方なのでとても楽しく勉強ができました。

現地学校について
私は、5月から8月までの1ターム期間にワイヘケ高校に通っていました。 島の学校だったので規模は小さく留学生も少なかったです。その学校には日本人が何人かいました。 5月からの留学生は私だけだったので、わからないことだらけで大変で嫌になってしまいました。そして、何日も悩んで考えた結果、語学学校に転校して英語の勉強をやり直そうと決めました。

ホームスティについて
私は4つの家にホームステイしたのですが、どこの家もとても優しく迎えてくれました。土日には観光名所に連れて行ってくれたりホストが持っている別荘に連れて行ってくれたりしました。

今後について
まだ決まっていませんがこの留学が無駄にならないようなことをしたいと思います。

ニュージーランド留学情報センターについて
いつも相談に乗ってくれたり転校するときに書類なども全部用意してくださいました。皆さんがとても優しくて、大変だったときは毎日のようにLINEをしていました。

後輩へのアドバイス
留学を決意するのはとても大変なことだと思いますが、来てしまったらここにいたら嫌でも英語を話さないといけないので生活をしているだけで勉強になります。生活のことや学校のことも自分でやることがほとんどなので、心も成長することができます。とても楽しく勉強をすることができると思うので、来て損はないと思います。

ーーーーーーーー ここからお母様より ーーーーーーーーーー

留学の決意
娘は幼い頃から長い期間、非英語圏の国で育ったため帰国後日本での生活に馴染めず日本が好きではありませんでした。普通高校に入学しても合わず通信制高校へ転校、悶々とする日々を送っていました。育った国に戻りたかったのですが、難しく、日本を脱出したがっていたので他国を見ることも良い経験になると思い、留学することにしました。

入学当初の様子
留学が英語力アップというような理由でなく短期間で留学を決めたので、日本での準備不足で英語力が足りず現地高校で挫折してしまいました。本人の希望で1学期間だけ通い、残り3か月は語学学校で英語をきちんと勉強することにしました。ただそのような方向に決めてからは高校生活は楽しんでいたようでした。

ニュージーランド留学情報センターとの出会い
インターネットでニュージーランド留学エージェントを検索したら沢山ありすぎてわかりませんでした。現地でのフォローが充実していて留学生を騙さないという文言にひかれてニュージーランド留学情報センターにお世話になることにしました。その後娘も知っている私の友人の子がセンターにお世話になっているとわかりとても対応が良いと聞き、安心しました。

現地高校とその生活
語学学校では日本人が周りにいなかったので色々な国の友人と英語で過ごしていたようで、そこで英語力がアップしました。そうなると自信につながり何事にも前向きに行動できるようになっていました。ホストファミリーは学校が変わったことで何か所かお世話になりましたが、愛情をもって接してくれて一緒にテレビを見たり今日あったことを話していたようでした。海外生活が長い娘はホームシックにはならず、食事で困ることもなく安全に対しての認識はあるので生活全般で困ること驚いたことはなかったようです。

今後について

ニュージーランドの生活はとても充実していて留学して良かったと言っていました。英語のブラッシュアップをするため今度は現地の夏に短期留学することを楽しみにしています。その前に日本の高校のスクーリングや試験があるため、まずはそこを頑張りたい。英語力は少しつきましたが、まだまだ足りないので資格試験(英検やIELTSなど)を受け、将来の進路につなげたいと思います。

センターの方々には大変お世話になりました。娘は高校から語学学校へ転校となり、その手続きに奔走してくださいました。娘がくじけそうになったときセンターの方々、並木さんに励ましていただいたようです。私にはなかなか話したがらないことや現地での様子もたくさん報告してくださり、安心して娘をお願いすることができました。本当にありがとうございました。

4年間のラグビーアカデミー留学後に日本のプロリーグに採用(本人・母親)

ご本人から

2009年にRotorua Boys’ High Schoolでのニュージーランド留学が始まりました。僕のホームスティ先が学校のラグビーのコーチで、とてもよくしてくれました。最初は英語も全然分からなくて大変だったけど、ラグビーを通してできた友達がいろいろ助けてくれました。NZに来て3ヶ月くらいたった時、ホームスティの先生が学校の寮の先生になるということになったので、僕も一緒に寮に入ることになりました。

寮に入るともっと友達ができて、英語がだめだった僕もある程度聞き取れるようになりました。1年目は学校のU15でラグビーをして、Bay of Plenty U15にも選ばれました。2年目は言いたいこともある程度英語で話せるようになりました。3rdXVでラグビーをしてBay of Plenty U16に選ばれました。

3年目は目標だった1stXVで試合にも出られました。最後の試合で腕を折ってしまったけど、学校生活も楽しく過ごせました。これで終わると思ったNZ生活だったのですが、scholarshipという学費が半額になるという制度があって、それでラグビーをするということで、もう1年残れることになりました。

それでも4年目は怪我が続いてあまりラグビーはできなかったのですが、とても充実した最後の年を過ごせました。この4年間の留学生活で、ラグビーは勿論英語も随分上達しました。コーチや友達に恵まれ、NZラグビーを身につけることができたおかげで、2012年から日本のトップリーグでプレーすることができるようになりました。これからトップリーグで活躍することが、お世話になった方たちへの恩返しになると思って頑張りたいと思います。

ーーーお母様よりーーーーー

(父親の夢)
高校時代にラグビーをはじめ、大学・社会人とラグビー漬けだった主人は、社会人時代に三度ニュージーランド遠征を経験し、豊かな自然、きれいな街、そして何よりすれ違う人々が自然に微笑みかけてくれるニュージーランドの人達にすっかりほれ込み、「男の子が産まれたら、ニュージーランドへラグビー留学をさせたい」という夢を抱いていました。

平成6年2月、我が家の長男として産まれた息子は、その父親の夢をずっしり担ぐことになったのですが、本人は「野球がしたい。サッカーがしたい。」とラグビーのラの字も口にする子供ではありませんでした。そんな息子を小4で無理やりラグビースクールへ入れたものの、好きでもないラグビーをなんでしないといけないのかと、毎週日曜日が来るたびに泣きながらグランドへ向かう日々が続きました。中1の秋、小学校(弟が小5)の国際交流でニュージーランドの男の子をホームステイで受け入れました。

最初は二人とも「絶対受け入れはせんで」と泣いて訴えていたのですが、一緒に遊んだりラグビーの練習をしたりする中で、その子とも仲良くなり、特に息子はニュージーランドへの関心が少し湧いてきたようでした。その頃には、少しずつラグビーも楽しくなってきており、本当に良い刺激になったと思います。

(ご縁)
丁度その頃、私のママさんバレーの仲間が「私の高校時代の同級生が、ニュージーランドで留学のお世話をする仕事をしてるみたいよ」と話してくれたのが、徳永社長のことでした。すぐに友達から徳永社長を紹介してもらい、「まずは連絡の取れる環境を」といわれ、パソコンを買い、そこからニュージーランド留学情報センターの方々とのご縁がはじまりました。そして、それまで漠然と考えていたニュージーランドでのラグビー留学が、一気に具体化し「彼のラグビー留学を成功させる」ことが、我が家の目標になりました。

学校探しからニュージーランドでの生活など、私達にはわからない事だらけでしたが、当時の担当者の方は何を尋ねてもすぐに的確に回答してくださり、聞くのも恥ずかしいかなと思えるような事にも、丁寧に優しく対応してくださいましたので、本当に何でもいろいろ相談させていただきました。

そして、沢山の時間をかけ沢山のやりとりをしていただき、ラグビーアカデミーがあり日本人が少ない「ロトルア・ボーイズ・ハイスクール」へ通わせたいと、親の気持ちが固まった頃(息子、中2の夏)、今度はやはり小学校の交流で、こちらからニュージーランドを訪問する年になりました。前年度受け入れた男の子の家にお世話になることで、その小学校のツアーに便乗させていただくことになり、1週間のホームステイを経験しました。

また、ニュージーランド到着の日に、徳永社長の案内でロトルア・ボーイズ・ハイスクールへ連れて行っていただいたことで、「ここでラグビーがしたい」という強い気持ちが芽生えたようです。息子は帰国後、真剣に高校からのラグビー留学を考え、徳永社長が撮ってくださった校舎やグランド・寮の写真を部屋に貼り、毎日ながめながら勉強とトレーニングに励みました。

2007年、フランスワールドカップの年でした。
毎日学校から帰って、17:00~トレーニング(週末はクラブチームの練習)・19:00~23:00塾・24:00~2:00ウトウトしながらラグビーの試合を見る日々が続きました。そして、「スーパー14(現15)でプレーする」ことが彼の夢になっていきました。

(旅立ち)
2009年、息子のロトルアでの生活がはじまりました。
頼る人もなく言葉も通じない中で、最初はとてつもなく心細く、どうしようもなく淋しい思いもしていたことと思いますが、やはりラグビーが沢山の友達を作ってくれました。Year11で高校のU15・ベイ・オブ・プレンティのU15に選ばれ、申し分のない初年度を送ることができました。

2年目は、高校の3rdXV・ベイのU16でプレーし、3年目にはRBHSの1stXVの試合も経験させてもらえたのですが、高校の最終戦で腕を骨折してしまったため、この年はベイのセレクションも受けられずに、高校生最後の年を終わろうとしていました。そして帰国後のことを相談するためにかけた電話で、「できればもう1年残りたい」と彼の気持ちを打ち明けられました。たぶん、当時あと1年残ればRBHSの1stXVのレギュラーが獲れ、ベイのU18に選ばれる自信があったのだと思います。

しかし、もともと裕福ではなく、子供を留学させたいと思いながらも、日々を過ごすのが精一杯で充分な学費の準備もできていない状況での留学でしたので、毎年銀行の方に相談しながら何とか3年間分の留学費用を賄ってきた我が家に、4年目を行かせてあげる余裕もなく、彼には「申し訳ないけど帰ってきて」と言うしかありませんでした。

それからしばらくして、「学校のスカラーシップという推薦制度で、半分の学費でもう1年残してもらえると言われた」と連絡がありました。それでも我が家には無理な額でしたが、彼の強い意思を感じ、主人の両親に二人で頭を下げて協力していただき、RBHSの4年目を送らせてあげることができました。

(トップリーグ入団)
そして、これもまた有り難いご縁なのですが、私の短大時代の恩師がトップリーグのチームスタッフに知り合いがあり、彼が3年目を終えてホリデーで帰国している間にそのチームの練習に1日だけ参加させてもらうことができました。しかし、まだ腕の骨折が完治していない状態でしたので、翌年の学期休みを利用してもう一度練習に参加してほしいと言われ、4年目の1学期終了後、一時帰国して再度練習に参加しました。ただ、この時も残念なことに高校の練習で今度は足首を痛めてしまい、またしても充分なプレーをすることができませんでしたが、有り難いことに後日そちらのチームより採用の連絡をいただいた時には、夫婦で大喜びしました。

怪我がつきもののラグビーというスポーツで、高校3年まで怪我らしい怪我をしたことのなかった息子が、腕を骨折し、足首を痛め、それでもトップリーグのチームから採用していただけるだけのものを身に付けていたということは、RBHSでのトレーニングやコーチングがどれほど素晴らしかったかを物語っていると思います。中学までは、普通のラグビー少年でした。その彼をRBHSでの生活が、少年から青年へ、しかもしっかりと成熟した青年ラガーマンヘ成長させてくれました。

(留学センターの方々)
4年に亘る留学期間中、センターの方々には本当にお世話になりました。学校とのやり取りはもちろん、ビザの更新や外泊の連絡・お小遣いの管理までしていただき、おかげで私達は何の心配もなく、日々を過ごすことができました。高校留学の担当の方も、どの方が引き継がれても、とてもスムーズに一様に的確に丁寧に対応してくださいました。

そう言えば、2年目に向かう飛行機が、離陸時のトラブルでタイヤがパンクし、成田で一泊した時にも大変お世話になりました。すぐに航空会社へ連絡して様子を知らせてくださり、宿泊や次の便の確認をとってすぐに私達に知らせていただいて、本当に頼もしく感じました。

また、RBHSでは、留学担当のウォーカー先生が生活全般の手助けをしてくださいました。センターの方と先生との連携もしっかり取れていて、学校からの成績表などは訳して送っていただき、逆に学校から我が家にダイレクトに届いた書類で、読めずに対応に困った時もセンターへ連絡すれば、すぐに学校へ問い合わせてくださり、本当に申し訳ないくらい全てお任せでしたが、私達にとってセンターの方々は大変有り難く心強い存在でした。

(感謝)
2012年10月2日、4年間の留学を終えて帰国し、「ラグビー留学を成功させる」という我が家の目標が達成されました。この成功は、徳永社長をはじめセンターの方々なしでは語ることができません。
足掛け7年に亘ってお世話になったセンターの方々、高校の先生方、地域の方々、関わってくださった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、RBHSで各国にできた友達は、息子にとって何よりの財産です。

「もう息子は、私達とは違う次元を歩き出したね」と、よく夫婦で話をします。
私達夫婦だけでは叶えられなかった主人の夢を、沢山の方のサポートで叶えることができました。
今度は彼が、自分の力で自分の夢をつかんでくれることを、楽しみに期待したいと思います。

沢山のご縁と、お世話になった方々に、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。

2年留学後に帰国子女受験で受験。早稲田、慶応も受かり、京都大学法学部へ。(父親)

匿名希望の学生のお父様より体験談を頂きました。

留学の決意
娘は都内の私立高校に通っていました。その高校は東大はじめ有名大学、医学部に多数の合格者を出すような進学校で、学習指導・規則が厳しく自由な性格の娘(?)にはどうも合わないようでした。そのため1年生の1学期の終わり頃からストレスのせいか体調を崩し、学校に行けない日が続くようになり、このままではいけないと相談・検討した結果、留学させることにしました。
留学先としてはカナダも検討しましたが、北米の場合、年度の始まりの時期により日本の高校を卒業するより1年遅れてしまう為、ニュージーランドを選択しました。

ニュージーランド留学情報センターとの出会い
当初、他のエージェントに相談しましたが、娘が希望した学校は風紀がよくないエリアにあるという理由(実際にはそんなことはなかったようです)で他の学校を勧められ、また、出てきた見積りも高額でした。そうこうしているうち、時期的にも遅くなり、2月からの留学は無理かとあきらめかけましたが、ニュージーランド留学情報センターに問い合わせをしたところ、さすがに現地の留学エージェント、時間の無い中、迅速かつ適切、親切にご対応を頂き、1年間を無駄にすることなく娘の希望する学校での留学が実現しました。その後、留学中も親身になってご対応いただき、ニュージーランド留学情報センターには大変感謝しております。。

語学学校・現地高校とその生活
娘は英語だけは好きでそれなりに勉強をしていたため、語学学校には行かず高校に直接入学、現地高校では日本の高校で行われる受験のための勉強だけではなく、「メディア」、「エコノミックス」等のカリキュラムがあり、自分が学びたい事を学べたようでした。また、ホームステイ先のホストファミリーにも恵まれ、日本での体調不良も回復し、ほとんど休むことなく学校に通うことができました。
娘を受け入れてくれた現地高校、ホストファミリーにも深く感謝しております。

今後について
現地高校に2年通いましたが、その間、帰国後のことを考え日本での受験対策としてTOEFL、SATの勉強だけは一応していたようです。その甲斐もあってか、早稲田政経グローバル入試、慶應経済をはじめ早慶の多くの学部の帰国生入試に合格、最終的に京都大学法学部の帰国生入試に合格、今は京大生として京都で元気に暮らしています。

本当にニュージーランド留学情報センターの皆様、現地高校、ホストファミリーには感謝しております。
ありがとうございました。

オークランドの女子校に通学、見事日本の大学へ進学しました。

◎留学を考え始めたきっかけは?
中学3年の1月頃、進路の話をしていると時留学の選択があって親に相談しました。中学3年生で地元から静岡で寮暮らしを初めて自分の視野が広がり、もっといろんな世界を見てみたいと思ったからです。

◎留学して何が一番大変でしたか?
現地の高校に行った時、語学学校とはみんなの英語の喋る早さが違ったり数学や理科なども英語で習うことになれるまで大変でした。私の学校は、アットホームで、生徒はみんなフレンドリーで授業で分からないところを教えてくれたり困っているところを助けてくれました。

◎楽しかった事は何ですか?

Year13のスクールトリップが楽しかったです。キャンプ場でアスレチックをしたりチームを組んでゲームをしたり、夜ごはんをみんなで作ったりと充実した3日間を過ごすことができました。部屋が汚かったり、シャワー時間が限られたりと大変なところはたくさんあったけど、友達と乗り越えながら過ごすことはとても思い出になりました。

◎高校留学を通して得たものは?
英語力はもちろん、世界中の友達を作ることができたことです。日本に帰っても連絡を取りあってまたいつか会えたらいいなと思います。また、言葉の通じない国に一人で行き、生活をする事で精神的にも強くなりました。それと同時に、今までどれだけ家族に支えられてきたかを感じることができました。

◎帰国子女受験を目指して取り組んだ事は?
籾井先生の小論文講座に一生懸命取り組みました。小論文を今まで書いたことがなくて不安がたくさんあったけど、先生が一から細かく教えてくれて上手く書けるようになりました。「塾天」の授業でもTOEICの点数を上げるために毎週復習をしながら取り組みました。1年で120点くらい伸ばすことができました。

◎大学生活にどの様な期待を持っていますか?
サークルに入って友達との交流を楽しみたいです。一人暮らしをするので、家事もきちんとできるようにしたいです。バイトや遊び勉強を全て全力で取り組むことが目標です。心理学は今まで学んだことがないものなのでどんな授業なのかとても楽しみです。

◎留学を考えている学生に一言アドバイス
留学は、普通に日本で高校に行くよりもとても大変なことです。でも、その分成長できることがあり得るものもあります。世界中の友達を作ることなど、日本ではできないこともたくさんあります。自分次第でとても楽しい留学生活を送れると思うのでぜひ留学してみてください!

現地高校に留学後、日本の大学へAO受験しました。

様々な経験を若いうちから積んでおきたい、その思いから私は高校一年の秋、海外へ渡航しました。親元を離れての海外生活は不安なものだらけでした。バスの乗り方、お金の払い方すらわからない状況で、ニュージーランドの生活に慣れるためにひとつひとつ覚えていきました。

数か月語学学校に通った後、いよいよ現地校が始まりました。学校は自分が好きなダンスが勉強できるところを選択しました。授業選択では何をとっていいのかわからず、とにかく自分の興味あるものを優先的にとりました。初めは授業で何を言っているのか理解できず大変苦労しましたが、ほんの少しずつ、聞いてわかることが増えていきました。やっとNZでの生活、学校に慣れた段階で私は転校を決断しました。それは、現地校にいる日本人と日本語を喋ることが多かったからです。私は海外まできて何をしにきたのか?それを改めて考えたときに、自分に甘えて母国語が通じる人同士ばっかりで話していても意味がない、そう思ったのです。その後、転校先を決めるとき、日本人が少なくアットホームな学校、というのを基準において探し、ようやく見つかりました。初めこそ緊張しましたが、だんだんその学校では馴染んでいきました。人数が少ないため授業では何度も質問できて、本当に良い勉強になりました。環境もとても良く、学校は静かで勉強に励むことができ、勤勉賞を2回も取ることができました。

NZの季節では冬に差し掛かったころの6月、私は受験準備を始めていきました。なりたい職業を決め、そのために必要なスキルを勉強できる大学、として大学と学部を絞っていきました。受験準備は当然楽ではなく、毎日夜遅くまで小論文、英語の問題を解き続けました。一度受験のために9月に帰国し、奮闘の結果見事受験に合格することができました。その後またNZへ戻り残りの学校生活と卒業式を終え、無事日本へ帰国しました。

私は様々な経験を積みたい思いで留学を決意しました。留学を終えた今言えることは、経験を積んでさらに自分の考えが大きく変わったということです。留学期間中には気づかなかったことですが、自分自身をかなり信じられるようになりました。海外では自分の意見や考えを求められる場面が多くあるように思います。そのような場面を多く乗り越え、他人の意見を尊重しつつ自分の意見も大切にする、という自分の苦手分野をこなせるようになりました。

初めは留学を決意するまで勇気がいると思いますが、決まってしまえば自然と行動できるので、勇気を持って決意をしてください。

ニュージーランドに留学に「行きたい」と本人が言い出したのがきっかけでした。(本人・父親)

なぜ留学をしようと思いましたか?

中に新しい事にチャレンジしたかった。ありきたりな人生ではつまらないと感じた。そしてラグビーの本場でラグビーをしたかったので、ニュージーランドを選びました。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか?

英語が上手ではなく不安だったが、現地の人はとても新設に接してくれた。同時に外国人の友達が沢山増えると思いワクワクした。

ニュージーランド到着の時の気持ちや驚いた事は?

楽しみにもしていたし、不安もあった。最初にホームステイさせて貰った家がとてもきれいだったので驚いた。

ーーーお父様から

留学の決意

中高大一貫の中学に行くものの、本人が高校での生活が見えて来たときにNZに旅行に行く機会があり、本人がNZを気に入り、NZの高校に行ってもいいよ、、と伝えた時に「行きたい」と本人が言い出したのがきっかけです。クラブや授業、テストのハイペースに追われることなく、自分のペースで高校生活を楽しみたかったんだと思います。

入学当初の様子

寂しがる事は全くなかったですが、そもそも英語の成績もそれほど良くなかったのについていけるか心配でした。また、比較的大人にアウトプットするのが苦手な子なので、ホストとうまくやれるか不安でした。ただ、全くホームシックにかかることがなかったので安心してました。

ニュージーランド留学情報センターとの出会い

日本でいくつか留学サービスを行なっている会社に行きましたが、結局、現地のエージェントとやりとりするだけなので、それなら現地のエージェントを探そうと思って探しました。ニュージーランド留学情報センターは、HPが充実しており、とても細かく丁寧にアップされていたので安心してお願いすることにしました

語学学校・現地高校とその生活

学校は結構マンモス校だったので、留学生まで目が行き届かないのかなと不安でした。日本の留学生もそれほど多くなく、いい環境だったと思います。うまくいかなかったホストファミリーがあったのは少し残念でした。もう少し、早く察知してあげればと思いました。

今後について

ここまで、頑張ったので、親としては海外の大学に行って欲しいと思いましたが、親としては不安だらけの高校留学でしたが、彼なりに自立して、かつ、周りに対しても感謝の気持ちを強くもった息子を見て本当に留学して良かったと思いました。学業以上に人間として大きく成長してくれたことに感謝です。

語学学校で英語力を付け現地高校へ。日本の大学へ帰国生受験。

1)留学の動機は?
もともと英語が好きで、海外に行って英語を勉強したいと思っていました。自分自身が体調を崩し日本の高校ではやっていけないと感じた時期やタイミングが重なり、留学させて貰う事ができました。

2)留学に対する不安や期待は?
今までは親に支えられていた生活であったが、急に環境が変わり、ちゃんと一人で生活することができるのだろうかという不安や、2年間もつのかという不安もありました。

3)ニュージーランド到着時の気持ちは?
アジア人も以外と多いんだなと言うのが率直な感想です。中でも中国人がとても多い事にはとても驚きました。

4)語学学校について
私は、ユニークNZに3週間ほど通いました。NZに来て間もなく、右も左も分からない状態で、正直最初の1-2週間はとても大変でした。学校スタッフのダレンやえりさんのサポートが無ければ、その後もしんどかったと思います。学生は日本人も多く、心の支えになりました。

5)現地が校について
2年間Howick Collegeに通いました。インターナショナルの先生方は自分達をとても気に掛けてくださって、大学受験等の書類のサポートもとてもよくしてくれました。いろいろな国から留学生が集まるので、いろいろな国の事を知る事ができました。自分の視野も広がって良かったと思います。

6)ホームステイについて
私は2年間同じ中国人のホストファミリーの家にステイしていた。中国の文化や食事を知る事ができて、本当に良かったと思います。体調を壊した時にはおかゆを作ってくれたり、優しく自分と接してくれ、住みやすかったと思います。しかし、ホストはいつも忙しく、あまり会話の時間がなかったのが少し心残りです。

7)今後について
ニュージーランドで身に付けた精神力やコミュニケーション力をしっかり活かして大学でも様々な国の人と関わっていけたらなあと考えています。

8)ニュージーランド留学情報センターについて
気軽に何でも相談する事ができて良かったです。2-3ヵ月に一度学校を訪問して下さって、受験についての相談も何度もする事ができました。

9)後輩へのアドバイス
ホストファミリーとはできるだけ距離を近づけて、何でも話し合ったりできる関係であるべきです。最初は不安な気持ちもあるとは思いますが、ニュージーランド留学情報センターの人もサポートしてくれるので、何事も気軽に相談すべきだと思います。

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■塾天の講座や受験サポートについて

1)大学受験はいつから意識し始めましたか?
卒業学年の最初の2月くらいから。TOEICを初めて受験したのは4月。その後、塾天の和美先生のTOEIC対策は5月から、小論文対策は6月頃から通信講座を始め、7月の学校休みの小論文集中講座にも通いました。

2)受験対策で良かった事は?
和美先生はTOEICを受ける上でのコツや出願形式について細かく教えて下さり、小論文の籾井先生は数多くの問題を与えてくれ、いろいろな形式の問題の解き方を教えてくれました。
どちらの講座も本番に活かす事ができ、TOEICのスコアも初めと比べると飛躍的に伸びました。

3)大学の選定、願書などの準備は?
これといった夢がなく、将来何をしたいという目標がなかったので、大学の選定は少し時間がかかってしまいました。英語を学びたいという思いや、スポーツと関わりたいといった明確な物が見えてくると大学も決めやすくなりました。願書の申請は早めはやめの準備をお勧めします。

4)大学受験結果は?
4校受験し、2校に帰国子女枠受験で合格しました。
<合格校>
日本大学 経済学部国際コース(帰国子女受験)
専修大学 経済学部(帰国子女受験)

5)合格の秘訣は?
面接の時に自分の思っている事や考えなどを完結に話せたこと。また試験官の目を見て笑顔で話せた事だと思います。小論文講座で面接をした事が多いに役立ちました。

6)将来の受験にアドバイス
緊張するとそれが試験かにも伝わるし、表情にも出ると思うので、とにかく笑顔を相手の目を見て話す事を心がけた方が良いと思います。

日本以外の新しい価値観や考え方を知り、自分にしかできない留学ができた。

なぜ留学しようと思いましたか?
元々、海外で生活することに興味があり、視野を広げるために留学することを決めました。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか?
日本での生活とは違う環境で生活できると思い、期待しました。また日本の高校よりも自由に学校生活が送れると思っていました。

ニュージーランド到着時の気持ち、驚いたことなど。
漠然と一年間ここで生活するのだと思いました。そして日本とニュージーランドの文化の違いを初日から感じ、ニュージーランドにはない日本の「おもてなしの心」のすごさを実感しました。

語学学校について
とてもフレンドリーな楽しい先生の授業を受けられて、毎日充実していました。授業内容はとても難しいこともなかったですし、現地の学校で役に立つ英語のフレーズなども学ぶことができました。
タイの学校が夏休みだったということもあり、タイからの留学生が8割を占めていて、タイ人の多さに驚きました。タイの子はみんなフレンドリーで、何よりとても親日家でした。そのため、たくさんのタイの子と日本の話をしたり食事をしに行ったりと仲良くすることができました。

現地学校について
僕は、第2学期から次の年の第1学期の終わりまで一年間、Howick Collegeという学校に留学しました。その学校の周辺地域は移民した中国人の方々が多く住んでいたので、学校には白人系、マオリ系のほか、中国系の学生もたくさんいました。留学生用の英語の授業には8、9割が中国人の生徒でまるで中国の学校のように中国語があふれていました。またこの学校はとても自由でいろんなことに驚きました。授業中におなかがすいたら野菜サラダをその場で食べている子がいたり、先生が手作りケーキを持ってきてくれてその学期が終わることをみんなで祝ったりしました。
授業科目は、留学生担当の先生と相談しながら自分で選択します。僕は最初は、留学生用の英語の授業を受けていましたが、次の学期からは英語を母国語としている生徒の英語のクラス、ネイティブ英語にも挑戦してみました。日本の国語のようなものなので、内容はとても難しく、つらいときもありましたが、何よりクラス内で飛び交っている英語がネイティブそのものの英語だったのでとても刺激になってよかったです。またジオグラフィーのクラスを取り、この授業もとっても難しかったです。地理の専門用語や日本の大学でやるようなとても詳しい内容を勉強しなければいけませんでした。単元ごとのテストでは合格以上の評価をもらえて嬉しかったです。
このように挑戦の多い教科を取っていたので大変でしたが今ではやりがいのある留学だったと思います。

ホームスティについて
2つのホームステイを経験しましたが、対照的な2つの家庭で、今思えばいい思い出です。1つ目は、ホストファミリーと食事を一緒にすることはなく、もう一人の留学生と食事をしました。ホストファミリーとしゃべる機会があまりなく残念でした。2つ目は、とてもやさしい家族でした。僕の英語の勉強を手伝ってくれました。夕食後に簡単な英語の本を一緒に読んでくれたり、英語の作文をチェックしてくれたりしました。また、ファミリー全員と食べる食事では、みんなの話が最初は慣れず聞き取れませんでしたが、徐々に会話の内容が分かるようになり、とても楽しかったです。日曜日に時々、ドライブに連れて行ってくれたり、土曜日に近くで開かれるナイトマーケットにも連れて行ってくれたりしました。自分だけではいけない場所にも行けて良かったです。

今後について
日本の高校二年生の時に留学したので、その日本の高校に戻り、高校三年生を修了して大学進学をしたいと思います。

ニュージーランド留学情報センターについて
ニュージーランドにスタッフさんがいるということで、とても安心しました。わからないことや困ったことがあればすぐに相談ができ、とても助かりました。

後輩へのアドバイス
ニュージーランドと日本の文化は全くといっていいほど違います。だからこそ、留学することは日本では感じられない価値観や新たな考え方を知ることができて、とてもいいと思います。僕は、この1年間、自分にしかできない留学をしたと思っていて、それがとても楽しかったです。皆さんも自分にしかできない留学をしてみてください。

帰国後に両親から大人になった。人間的に成長したと言われました。(本人・母親)

なぜ留学しようと思ったのでしょうか

かねてから留学したいと考えており、自分を取り巻く様々な環境やタイミングがあったので留学を決意しました。しかし、留学を決意するまでは自分の英語力で、本当に留学ができるかどうか不安でした。

ニュージーランド到着時の気持ちは?

樹木が多く、木々の緑と空の青さがとても爽快でした。自分の想像以上に会話ができませんでした。

現地学校について

とても頼りになる先生方も多く、勉強面、生活面でも良かったです。様々な人種の人たちと友達になれました。語学の留学期間は2年5か月。

ホームステイについて

留学中、いくつかの家庭を経験しました。学校の短期の休み中に、一緒に外へ連れて行ってくれるファミリー、連れて行ってくれないファミリー。自分に合う、合わないが、ファミリーによって大きく差がありました。

今後について

日本の大学に進学する予定です。

ニュージーランド留学情報センターについて

こまめに連絡をしてくれたので、疑問や不安を排除することができました。

塾天について

TOEICや小論文の対策について受講しました。現役大学生の先生方がとても良かったです。

後輩へのアドバイス

留学を終えて、両親から大人になった。人間的に成長したと言われました。私は帰国して日本の大学に進学予定なので、受験の面接対策、英語試験の勉強等はとても大切なので、塾天での講義は有意義でした。

ーー母親より

1) 留学の決意

ニュージーランドの学校に留学したいという、本人の希望と意志でした。

2) 入学当初の様子

日常生活や学校での授業、教科書等、全てが英語なので大変だったように思います。

携帯電話(Line)で、親と子の連絡が取れたので助かりました。

3)ニュージーランド留学情報センターとの出会い

インターネットで調べました。最初は別の会社の予定でしたが、その会社を詳しく調べると利用者とトラブルが生じており不安だったので、ニュージーランド留学情報センターにお願いしました。このときに変更して本当によかったと今では思います。

4) 語学学校・現地高校とその生活

学校は概ね楽しく過ごせました。日本の高校もそうですが、留学した学校もレポートの提出期限などに追われ、大変だったようです。

5) 今後について

日本の大学に進学する予定です。

トビタテJAPANで2週間の短期留学体験。(本人・母親)

なぜ留学しようと思いましたか?
小学6年生の時にマレーシアに行ったのがきっかけです。その時は英語が全然 話せなかったので悔しい思いをし、「高校生になったらリベンジしてやる!」 と思っていました。また、私はチーズが大好きで、酪農大国であるニュージー ランドでチーズをありったけ食べたい!という願望もありました(笑) また、ニュージーランドの牧場の在り方についてや、放牧されている動物たち はどのように過ごしているかなど、実際に見てきたい!と思って留学しました。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか?
私は両親から「留学は大学生になってからね」と言われていて、正直高校生の 時に留学できるなんて思ってもいませんでした。しかし!そんな私のもとに現 れたのは「トビタテ留学ジャパン!!!!」これは、文部科学省推進のプロジ ェクト!“2020年までに留学生を倍増させる”というもので、多くの企業が支援 金を出してくださっています。留学生は全額返済不要の奨学金をもらい、自分 のオリジナル留学プランで海外へ飛び立つことができるんです! これを知った私は「これしかない!!」と思い、高校1年生の時に準備を始め ました。

ニュージーランド到着時の気持ち、驚いたことなど。
正直、ニュージーランドに着くまで“自分が海外に行く”という実感が全くあり ませんでした。だから飛行機を降りて、ホストマザーに会ってからやっと「ニ ュージーランドに来ちゃった!」という感じです。 私が行ったところは牧草地だらけのところだったので、地元とは全く違う、本 当にのどかな風景に目がキラキラしてました(笑)ニュージーランドに来るま では、私の地元の富山県はとても田舎だと思っていたのですが、ニュージーラ ンドの田舎は想像を超える田舎でした。

現地学校について
私は「Feilding High School」という昔農業学校だったといわれるところへ行き ました。学校は大きな牧場を持っており、最新の機械までありました。年中生徒たちはお昼ご飯を外で食べないといけないというルールが面白かった です。また、JAPANESEclassの先生にはとてもお世話になりました。 現地の日本人三人でJAPANESE EVENTを開いたとき、とても喜んでくれたの を覚えています。私は日本で吹奏楽部に所属しており、トロンボーンを吹いているので、学校のトロンボーンを貸してくれないかと尋ねた時、快く学校のトロンボーンを貸し てくださいました。昼休みに合奏に参加することができました。各生徒が自分のやりたい楽器を自由にのびのびと吹いている姿を見て、音楽は世界共通だな と思いました。

ホームスティについて
私は念願の「牧場経営をしているホストファミリー」のもとへ行くことができ ました!!休みの日には牧場を手伝ったり、馬に乗ったり、羊の赤ちゃんにミ ルクをあげたりなどたくさんの経験をさせてくれました。 ホストファミリーは近所の人とのつながりが濃かったので、よく家に遊びに来 たりあそびにいっていました。近所の人も私を歓迎してくれて、料理をごちそ うしてくれたり、一緒に伝統菓子を作ったりなどまるで家族のように接してく れました。

今後について
ニュージーランドに行く前は「将来は海外で牧場を経営してのびのび暮らそう 」と思っていました。しかし、ニュージーランドの牧場で搾乳のお手伝いをし てみて、「あと10年後にはきっと牛の搾乳するのは人間ではなくロボットなん だろうなぁ」と実感しました。だからもう一度自分のやりたいことを見つめな おして、将来も役に立てるような仕事に携わりたいです。

ニュージーランド留学情報センターについて
現地の学校やホームステイ先、予定などを「トビタテ留学ジャパン」の結果が 来る前に決めなければなりませんでした。そんなわがままにも親切に対応して くださって、最高の学校やホストファミリーのもとへ行くことができました。 私の留学が充実したものになったのは、ニュージーランド留学情報センター さんのおかげです。本当に感謝しています。

後輩へのアドバイス
ニュージーランドは本当に安全で、人も優しい国です。日本との暮らしとは全 く違い、時間の流れもゆっくりでした。だから、日本に帰るとニュージーラン ドが恋しくなると思います(笑)

ーーーーーーーーお母様よりーーーーーーーー

1) 留学の決意
思えば小学生のころから、海外に行ってみたいという意欲のある子どもでした 。 父親がマレーシアに赴任していた時期に一度家族で現地に行ったこともあり ます。本人はずっと羊や牛、酪農等にじかに触れてみたいと思っていたよう ですが、費用等なかなか高額になるので躊躇していたところ、 今回トビタテ留学ジャパンに応募することになり、合格し、留学することが 出来ました。

2)入学当初の様子
フィールディング高校の先生方はとても温かく、フレンドリーで初めから安心して通うことができたと聞いています。

3)ニュージーランド留学情報センターとの出会い
私の友人の旦那様がNZの方で、国際結婚をされており偶然にも娘がNZに 行きたいと言っていると話したところ そのお子様が利用されている ニュージーランド留学センターを紹介してくださいました。 全くニュージーランドのことがわからない私たちに 優しく丁寧にいろいろな ことを教えてくださり、本当にニュージーランド留学センターの方には とても感謝しております。

4) 現地高校とその生活

ホームステイ先の方もとても親切でいろいろなところに連れて行ってくださったりたくさんお話ししてくださったり娘は本当に楽しかったと言ってお ります。高校もスクールバスで通わせていただきバスの中でもお友達ができ たりしたようです。

5) 今後について
今後は再度長期の留学も視野に入れて進学を考えていきたいと思っていま す。今回の留学がとても実のあるものだったからこそだと思います。

夏休みの2週間短期高校体験コースです。英語が話せないからの体験が多かった。

なぜ留学しようと思いましたか?
どちらかと言うと母に勧められたからですが、英語力の向上や海外の文化への興味があり、留学を通して視野を広げる為にトライしてみました。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか?
初めての海外旅行で、一人旅行だったので、すごく不安でした。英語は特に得意ではなかったので、現地で英語での話が理解できて、話せるか不安でした。もちろん、学校やホームステイ先での生活も不安でしたが、いろいろな資料や現地スタッフの方の話しを聞いてすごく楽になりました。一方、新しい国での体験は、日本との文化の違いや食事の違いを感じたり、世界観を広げることもできると思い、ワクワクする気持ちもありました。もちろん現地の学校での外国のお友達ができるかもしれないことも楽しみでした。

ニュージーランド到着時の気持ち、驚いたことなど。
ホームステイに入ってからは一人を更に実感し、不安な気持ちで一杯でした。その反面、今から未知の世界に行くというわくわくな気持ちもありました。

現地学校について
話に聞いていたESOLクラスは受けなかったので英語の上達はあまり感じなかったのですが、バディーと一緒に普通のクラスに入って授業を受けました。英語での勉強はうっすらと理解は出来ましたが、クラスメートがとてもいい人たちで楽しく過ごせました。バディーになってくれた学生さんがとってもいい子だったので、さらに楽しい体験が出来たと思います。学生はみんなとにかく明るく、楽しかったです。思ったことをすぐ行動に移したり、言いたいことを言うことの大切さを感じ、日本の学校との違いに日々驚かされました。

ホームスティについて
到着するまでは、料理は口に合うのか、やさしい方々なのか、規則は厳しくないかなど不安でいっぱいでした。でも、ホームマザーもホームファザーもとっても優しく接してくれ、お料理も凄くおいしかったです。ホームステイ先は、むしろ不安を消してくれる、癒してもらえるような場所だったと思います。朝も夜もずっと一緒にいて、一緒に生活できるからこそ、より近い関係になれたと思います。英語はあまり通じなかったけれど、言っていることが分からなかったときに何度も言い換えてくれ、何とか伝えようとしてくれました。自分も身振り手振りで伝えようとしたので、なんとか意志疎通ができました。ホストファミリー同士がとても仲良く、生活しやすい環境でした。

今後について
もともととても語学に興味があったわけではありませんでしたが、英語が話せたらきっともっと楽しかったと強く思ったので、日常会話ができる様になりたいと思いました。クラスの友達は、いろいろな趣味や夢を持っていたので、自分も好きなことを見つけたいと改めて思わされました。

ニュージーランド留学情報センターについて
ラインを教えてもらったことにより常に安心していられた。すごく親切でした。私のこと以上に私の事を考え、心配してくれていたように感じ、凄く頼りになりました。外国に対する不安を減らしてくれ、初めての留学を純子さんと徳永さんに支えてもらってよかったです。とっても感謝しています。

後輩へのアドバイス
不安でも行ってみたら本当に楽しいし、いろいろと大切なことに気付ける大切な時間になると思います。英語を話せなくても、だからこそそこに生まれる人の優しさや、改めて英語を頑張ろうと思う気持ちなど、いろいろな気持ちに気付ける体験でした。今、不安に思っている方は、まずは体験してみると良いと思います。純子さん、徳永さんありがとうございました。とっても楽しい時間でした。

不登校編

中学1年生からの不登校。13歳での留学は本当は不安でした。(母親)

「留学を決めたきっかけ」
中学1年生の息子が9月頃より不登校となり、親として何か一歩外に出るきっかけとなることはないだろうかと考えたことが始まりでした。

限られた人間関係と経験だけでなく、いろいろな人たちに出会い視野を広げ、現状を離れた場所から見つめて、これからどのような道を進んで行きたいのかを考えてほしいとの気持ちから海外留学を提案しました。何度か家族で行った海外旅行が楽しかった思い出もあったのでしょう、これまで何を言っても動こうとしなかった息子が“海外留学なら”とようやく納得し、首を縦に振りました。

転校やフリースクールなども検討しましたが、思い切った方向転換が息子には新鮮に映り、楽しかった思い出も重なって、一歩踏み出してみようと思ったのかもしれません。

「留学エージェントの決定」
準備は本人の気持ちが動き出したタイミングを逃さないように急ピッチで進めました。子供と電話等で連絡を取り合うことも考え、日本と時差の少ない国であること、13歳の子供が過ごすのに治安が良く安全な国であること、現地にオフィスがあり何か起こった時や子供が困ったときにサポートが受けられるよう、日本語で話せるエージェントの方がすぐそばにいること、有事の際には私共がすぐに駆け付けられるよう現地まで遠すぎないこと、そして何より不登校の生徒にも対応された経験があること・・・。そのような観点から留学先を検討していきました。いくつかの国の中から候補としてニュージーランドが挙がり、現地にオフィスのある留学情報センターを見つけました。私が学生時代にニュージーランドを訪れたこともあり、その中でもクライストチャーチの都市の規模、アットホームな人たち、過ごしやすさ、景観の美しさは思い出に残っており、“ぜひクライストチャーチで”と心が決まりました。

早速メールでのやり取りが始まりました。息子の不登校についても、答えられる範囲で良いのでと前置きの上で詳しく聞いてくださりました。留学生活が無事に始められるよう親身な対応で、なにより現地で直接お世話になるであろう担当者とダイレクトにやりとりを進めているという安心感がありました。実はいくつか他のエージェントともコンタクトをとっておりましたが、留学情報センターの、迅速で誠実な内容のやりとりが非常に信頼でき、早い段階で決定いたしました。

「留学情報センターについて」
現地にオフィスがあり実際に担当者が住んでいるので、現地の情報量がとても豊富で、何かあったときにはすぐに出向いて対応してくださり、また息子がオフィスに出向くこともありとても安心でした。出発前のカウンセリングから現地でのサポートまで一貫して同じ担当の方が担当してくださり、現地にいる担当者と日本にいる私共がダイレクトに連絡を取ることができ、行き違いなくスムーズにやり取りすることが出来ました。

語学学校から現地の学校への入学の際や、うまくいかず高校を辞めて帰国するか転校するかという問題が起きた時も、ずいぶんと本人や私共とも直接電話にて相談に乗っていただき、本人の雰囲気に合った学校にスムーズに転校が決定いたしました。現地にオフィスがあるからこその、生きた情報をもとに素早く対応してくださったことにとても感謝しております。

留学をスタートしたころ息子はまだ13歳と年齢が低かったこともあり、私が現地まで付き添いました。担当の原様と直接お会いして、ゆっくりと話をする時間を取っていただき、またお世話になるステイ先のファミリーにもお会いすることが出来ました。初めて親元を離れ海外で生活することになる息子をお任せする方々に直接お会い出来たことで、息子をステイ先に置いて私一人が帰国する際は不安もずいぶん軽減されていたことを覚えています。

「留学中の生活」
“とりあえず不登校の状態から一歩踏み出すきっかけとなれば”とスタートしましたが、結局3年半の留学となりました。現地に初めて行ったときは中学1年生、英語は全くと言っていいほど出来ず、内心すぐに根を上げて帰国したいと言い出すのではないかと語学学校も短期間のみで契約し、荷物も最小限持参し
ての、不安だらけの留学スタートでした。

半年間は語学学校に通っていましたが、やはり最初は日本からの留学生と一緒にいることが多かったようです。語学学校を修了しYear10で現地校に入学したころから現地の友達が増え、思春期や反抗期も重なってその年頃ならではの悪ふざけもしながら交流を深めていきました。学校で部活動に入部したことも人間関係の輪を広げる上でとても有用でした。息子はサッカーが得意だったこともあり、サッカー/フットサルクラブに入りましたが、日々のクラブでの活動中はもちろん、遠征や大会などの集団生活を体験するなか、語学力も飛躍的に伸びたようです。得意なサッカーが周りとの良いコミュニケーションツールとなりました。

楽しんでいたように見えた留学生活ですが、現地の生徒と留学生では同じルールは適用されず、納得できず反発することもあったようです。校長先生と担当者と息子で話し合いになったこともありました。ステイ先ではファミリーが家族同様に接してくださり、英語の全くわからない息子をいつも一緒に連れまわして色々な人に合わせてくれたり、ニュージーランドならではのアウトドア経験をさせてくれたり、(学校が変われば契約先のステイ先も変わるのですが)、一番最初にお世話になったファミリーとは息子が日本に帰国するまでお邪
魔させていただいたりと様々な交流がありました。

「留学を検討されている方へのメッセージ」
ある程度自立した年齢での明確な目的があっての留学ではなく、不登校状態から一歩踏み出す目的での留学だったため、私の中で重要だったのは、信頼できるエージェントのもとで安心して留学生活を送らせることでした。そのためエージェント選びは非常に大切であったと思います。息子は思春期や反抗期も重なり様々な問題も起こしたりしましたが、担当の方は常に息子が“これから先どうなりたいと思っているのか”そして“そのために今やらなければいけないことは何か”を一緒に考え、時には親のように時には担任の先生のように寄り添い、導いてくださりました。目標とした高校卒業まではたどり着かなかったものの、ニュージーランド滞在中に将来の夢も見つけ、現在は高卒認定試験合格を目指しています。

振り返って考えると3年半の留学生活が成立した背景には、海外での生活という今までとはまったく違う環境下への移行、そして留学エージェントの方のお力添えはもちろんですが、サッカーというコミュニケーションツールを持っていたことが大きかったのではないかと思います。言葉が出来なくても、サッカーを通じてまず人との関りができ、それをきっかけに交流が深まっていきます。何か自分の得意なことがあれば、それがコミュニケーションのきっかけとなります。

息子は3年半の留学生活を通して、改めて日本の良さや、国民性の違い、教育や職業に対する意識の違い、日本の常識にとらわれず幅広い視野で物事を考えることなど、肌で感じとったのではないかと思います。不登校の状態から海外留学なんてうまくいくのかと不安も大きかったけれど、あの時思い切った決断をし行かせて良かったと思っています。

絶望の不登校からの留学、お父様からの体験談です。(父親)

不登校からの高校留学

<経緯>
数か月前から嫌な予感がしていた。だから「高校だけは卒業しておけ」と釘をさしていた。しかしそれが現実のものとなった。
今まで完全に他人ごととして考えていた事態だった。まさか我が子が。これまで見向きもしなかった相談窓口、臨床心理士によるカウンセリングも体験した。一刻も早くこの異常事態を打開したいとの焦りと裏腹に、どこの相談窓口でも「長い目で、時間をかけて」とのアドバイスだった。一旦はその言葉に自分自身を納得させるものの、先の見えない不安から何かできることはないか?こうしたらどうだろうかと常に模索していた。その間の家族はまさにどん底の状態で精神的に病になりそうだった。意外にも当の本人は不登校を決め込んでからは悩むふしはなく家庭内で自由な引き籠り生活を送っていた。それが周りの家族は理解できなかった。

そんな生活が数か月過ぎ、本人にこれからどうするつもりかとの問いに「外国に留学したい」との話が出てきた。当初は何を言っているのか「日本の高校に行けないのになぜ外国に留学なんてできるのか」と完全否定だった。ただその後も何も変わらない日がすぎるばかりで、不安は増すばかり、一番活動的な年代の若者が一日中家の中で過ごす不健康さが耐えられなかった。とにかく今の状態から脱却したいとの思いから、本人がやりたいことを今はやらせるしかないのかと考え始めた。そして、本人に「留学なんて日本の学校に行くよりずっと大変、言葉も通じない外国で授業や生活をしていくことができるのか?」と問いに「やっていく、できる」との返事からついに留学への一歩が始まった。

<留学エージェントの選択>
まずは留学についての情報収集からとインターネットで検索すると思いのほか多くの情報、逆にありすぎて迷うばかりであった。費用や留学生に対する受け入れ事情から、留学先をニュージーランドに選んだ。ニュージーランドの高校留学に絞っての検索でも山ほどの情報に困った。留学については全くの無知であったので、まずは信頼できるエージェントの選択は最初の課題であった。正直ネット上ではエージェントの良し悪しの判断は難しく悩んでいる時、ホームページで「留学生を絶対に騙さない」の言葉に出会った。これがニュージーランド留学情報センターとの出会いでこの言葉を信じてみようと思った。日本国内に窓口が無いことに不安があったが、留学するのは日本でないのだから、留学先での対応ができれば問題ないと考えお願いすることにした。

実際、相談から手続きに至るまでメールで何の不安も無く行うことができた。電話よりも文章で一つ一つよく確認できたのはかえって良かった。最初の頃は毎日のメールのやり取りが日課だった。そして、当時からのメールが残っているが、このメールは今となっては留学の軌跡としての宝物となった。
また、担当のスタッフの方には最初の相談から高校修了まで継続して見ていただいたことも安心感があった。

<可愛い子には旅をさせよ>
二年半前にすがるような気持ちで送り出してからも、いつ挫折して帰ってくるかも知れないと思うと不安は尽きなかった。実際幾度か親子間のトラブルもあった。そして今、特に優秀ではなかったが、何とか語学学校半年と高校生活の二年間を修了し、春から日本で大学生活(駒沢大学・法学部)を始めようとしている。同級生には学年で一年遅れたが、親元を離れてのニュージーランドでの生活はそれには変えられない貴重な経験となったはず。

<感謝>
不登校で悩んでいた頃を思い出せば、今は夢の様です。今までサポートして頂きましたニュージーランド留学情報センターの皆様に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
そして、今後も留学を希望する学生のために少しでも安い費用で、安心の対応を願います。

留学生の父より

100通近い手紙を息子に送り1通の返事ももらっていない母より(母親)

息子のロトルア留学物語

1) はじまりは不登校
「明日からもう、学校へ行くのやめるから。教室に入ると息苦しい。」中学3年の息子が、私たち夫婦と、当時大学生だった姉に言ったこの言葉から、話ははじまります。共働きで忙しく、ていねいな子育てをしたとはお世辞にも言えない我が家。子育ての半分は近くに住む祖父母がしてくれました。しかし、友だちがたくさんいてスポーツも楽しみ、いわゆる『良い子』ではない我が子は、不登校とは無縁と私はなぜか思い込んでいました。

「うちの子に限って」が起こった時のショックはちょっと表現できません。部屋に閉じこもってしまった息子に「何も要求するまい。生きていてくれるだけでいい。」と祈る気持ちでした。私はおろおろと相談機関をはしごし、夫は本棚1段分の不登校の本を買ってきて読み続け、ネットで情報を集めました。いろいろなことがありました。しかし、当の本人は不登校のまま中学を卒業し、やっとの思いで入れた単位制高校にも行かず、かわりにアルバイトに通う毎日が1年続きました。

我が子が何を考えているかわからず、息苦しい毎日でした。そんなとき夫が、不登校の高校生がニュージランドに留学をして元気になった話を見つけました。驚いたことに、それまでどんな話を出しても乗ってこなかった息子が、「行ってみる」と言い出したのです。動きはじめるのに、1年間という時間が必要だったのかもしれません。

さて、どこにお世話をお願いするか。本やネットをさまよい、あちこちに問い合わせをした末、ニュージーランド留学情報センターを見つけました。私たちがここに決めたのは、
1)スタッフや事務所の明るい雰囲気の写真がホームページにあったこと。
2)こちらの質問にすばやく、わかりやすく、的確に返事をくださったこと。
3)子どものガーディアンを引き受けるにあたって、厳しい条件を提示されていたことがその理由です。「ほかに道はない、ここにお任せしよう」と思いました。しかし、正直なところ不安でいっぱいでした。

2) 支えてくれる人たちに出会って
*クリスさん*
ロトルアという地方都市の語学学校に通ったときの、ホームステイ先のお父さん。普通に勉強していたのは中学1年までで、英語の単語もどれだけ知っていたのだろう、きっと話はできなかっただろう息子と心を通わせてくださいました。そして、息子のいいかげんなところを心配してくださったのか気に入ってくださったのか(?),2年間父親のように支えてくださいました。息子が車の免許をとったときには横に乗って教え、後でお話する専門学校入学の面接にも、ご夫妻でつきそってくださいました。まったく連絡をしてこない息子に代わり、メールで我が家に写真を送ってくださるのが、どんなにありがたかったかわかりません。

*ニュージーランド留学情報センターの方たち*
息子がオークランドの語学学校に通っていたとき、ホストファミリーといい関係がつくれず、家を出るという騒動をひきおこしました。遠く離れている私たち親はなすすべもなく、「これでもう、ニュージーランドは終わりだ」と覚悟しました。連絡を受けたセンターの方がほんとうにすばやくかけつけ、ステイ先の息子の部屋で2時間以上も息子の話を聞いてくださり、ホストマザーの話も聞いてくださいました。息子には,外国で暮らすについての厳しい話もしてくださったようです。そして、息子は帰国ではなく、ロトルアのクリスさんのところに戻って語学学校を続ける道を選びました。
この間の、泊まる場所から食べ物、戻る手続きまですべてを、ニュージーランド情報センターがしてくださいました。それは、「仕事」という以上に一人の若者を応援してやろうという熱い気持ちのこもったもので、私はこのとき、遠いニュージーランドに親戚がいて、息子の面倒を見てくれているように感じました。

*語学学校と高校の友だち・先生方*
息子は、ロトルアイングリッシュランゲージアカデミー(LELA)に1年近くいました。そして、いろいろな国から、はっきりとした目標を持ってやってきた若い人たちと、交流することができました。また、少しでもいいところがあれば、それを誉めてくれる先生方と過ごしました。好きだったギターが、みんなと仲良くなる手段になったようです。書くことはだめですが、英語で話すことだけは、だんだんできるようになってきたのもこのころからだと思います。
「教室は息苦しいのとちがう?」と私は心配しましたが、なぜか、「ロトルアはOK」だったそうです。特に先生方が,上からものを言う感じではないことに息子は驚いていました。
日本ではできなかった、『同世代の人と、太陽の下でつきあえる生活』ができることだけでもありがたいと、このころの私は思っていました。

ロトルアはたいへん自然の美しいところです。その自然にも息子は元気をもらったのでしょう。「夜の暗さと星の美しさを見せたい」としきりに言っていました。
次の年は、自分でロトルアボーイズハイスクールに入学を決めました。ギターにますます熱中し、音楽の先生や留学生担当の先生(ボーイズハイはラグビー留学の子が多いので、こんな先生がいらっしゃるようです。)にお世話になりながら、1年間を過ごしました。学校内やロトルア市のコンサートにも、出させていただきました。傷だらけになっていたに違いない息子の心にどれだけ自信になったことでしょう。

3) 苦あれば楽あり
「高校卒業」という言葉は息子の人生にはないし、それでいいと私は自分に言い聞かせてきましたから、息子が高校を卒業したときは、言いようのない嬉しさでした。降って湧いたようなとか、ウソのようなと言う言葉が、ぴったりの状況でした。
この年の夏、我が家は夫婦と娘で3泊4日ニュージーランドの旅を敢行。現地で息子と合流し、家族旅行をしました。息子と娘の運転と通訳で、私たちは後部座席。こんな日が来るとは、夢にも思いませんでした。ニュージーランド留学情報センターのみなさんやクリスさん、学校の先生方ともお会いし,「一生海外旅行はしない」と言っていた夫や私の世界も広がりました。

4)ニュージーランド留学情報センターのこと
息子のホストファーザーは長年,留学生を受け入れてこられた方です。そのクリスさんが、息子に言われたそうです。「おまえのガーディアンは電話できっちり様子を聞いてくるね。送り込んだらそれっきりというところもあるから、おまえは、いいガーディアンにあたったよ。」と。いろんなことをしでかす息子にとっては、都合の悪いガーディアンだったかも・・・。親としては、もちろん、安心でした。

留学情報センターとは、2年にわたるお付き合いになりました。徳永さんは厳しいお話をされますが、「不登校の子を預かってやる。」ではなく、「子どもの自立を手助けする。」という姿勢で、いつも私たちに接してくださったと感じています。感謝の気持ちでいっぱいです。留学は旅行とは違い長期にわたるのもですから、どんな考え方をもって仕事をされているかは、決定的なポイントだと思います。

5)今、そして、これから
息子はハミルトンの専門学校にすすむことを決めました。音楽を勉強したいようです。今回は入学手続きも学生ビザの取得も、ニュージーランド留学情報センターからのアドバイスを受け、自分でやりました。
これまで支えてくださったニュージーランドのみなさんに心からお礼を言います。ほんとうにありがとうございました。

そして、遠く離れた言葉もわからない土地で、ここまでやってきた息子に「ようやってきたね。」と私は言いたいです。

先のことは誰にもわかりません。きっと、また、大雨の日があるでしょう。が、今、息子が自分で決めた道を自分で歩いていることを、このうえなくありがたく思いつつ、お話を終わります。

100通近い手紙を息子に送り1通の返事ももらっていない母 西下 香

「そんな体験があったからこそ今がある、いじめてもらった子に感謝するよ」と言えるまでの留学体験(本人・母親)

留学生ご本人より
私が初めてNZに行ったのは私が中学1年の春休みでした。とても田舎に住んでいることもあってか、とても狭い世界で窮屈に生きていました。その生活は私にとってほんとに息苦しく、この狭い世界にいるのが本当に嫌でしかたありませんでした。そんな時、母からニュージーランドに短期留学してみてはどうかと提案されました。元々英語の勉強が好きだった私にとっては夢のような話で行く!と即答しました。中学1年の私の英語力では全く英語が話せるわけではなく、一生懸命英語を聞く事しか出来ませんでした。しかし、そんな私にわかるようにゆっくり話しかけてくれていろいろな話をしてくれて、いろいろな場所へ連れて行ってくれて、たった3週間にも関わらず家族のように接してくれました。本当にNZの人はとても温かく優しい人ばかりで自然も素晴らしくすごく気に入りました。この3週間で私の人生はがらりと変わりNZの高校に留学するという目標ができました。

そんな中、ニュージーランド留学情報センターの方に出会いました。かなり郊外にある前のホームステイから通える学校がいいという私のわがままなお願いを聞いてくださり、探してくださいました。NZに行ってからも本当にたくさん面倒を見ていただきました。時には本当の母のようにたくさん話を聞いてくださったり、様子を見に学校まで来てくださったりと、こういった時間がとてもいい息抜きになりました。

初めの予定では語学学校に数か月行ってから現地の高校に入る予定でしたが、私の行ったHowick CollegeはとてもESLが充実しており、新学期が始まる前のたった3週間を語学学校で過ごし、そのままHowick Collegeに入学しました。Howick Collegeはcityからバスで1時間と少し離れていましたが、近くにショッピングモールもあったり、自然がたくさんありビーチもあってのどかでとてもいいところでした。最初は本当に不安だったのですけど、internationalやESLの先生方は本当に皆さん親切な方ばかりで、英語もとても熱心に教えてくださいました。Howick CollegeにはReception classというものが英語数学理科社会の教科ごとにあります。単位はもらえない授業なのですがその教科で使う本当に基礎中の基礎の英単語や知識を教えてもらい、その後に単位がもらえるメインの授業に入れてってくれるというシステムなのです。日本で全く理科や数学に使う単語を勉強しなかった私にとってとてもありがたいシステムでした。このおかげでChemistryやMathのいろいろな種類のメインの授業で勉強していくことができました。ESLもENLとENSの2種類ありENLではどのようにしてreading-logやessayを書くのかなど勉強し、実際にreading-logやessayを書いたり、speakingやlisteningのテストなどをして、現地の子達が受ける英語の授業とほぼ同じレベルの単位を取るという授業です。

Year13時にはreadingやlisteningのテストではlevel 3かlevel 4の自分に合うどちらのレベルのテストを受けられるようにとオプションを用意してくださり、level 4の生徒にいろいろとサポートしてくれたりなど、本当にこの先生のおかげで英語力が伸び、英語を学ぶのがもっと好きになりました。そして、ENSではENLの授業よりは少し気が休まるようなENLのサポートのためのクラスでした。ENLでわからなかったことや、ENLでやっていることなどを教えてくれたりなど基礎的な文法などを教わりました。ESLの先生方はとても手厚いサポートをしてくれる素晴らしい先生ばかりでした。ESLの先生に限らず、私が取っていたChemistryやMathのクラスの先生もインターナショナルの生徒ということを気にかけてくださってよく話しかけてくださいました。わからないところがあると授業が終わった後や休み時間に教えてくれたりなどとても親切に教えてくださいました。授業の種類もいろいろなものがあり、HospitalityやDanceなど日本にはない授業を体験することができました。この学校を選んで良かったと心から思います。

ホームステイ先にも恵まれて、2回ほどホームステイ先を変えましたがどのホストファミリーも本当の家族のように接してくださって、ホームシックには1度もなりませんでした。最後にステイしたホストファミリーには私を含めて留学生が3人いて、さらに同い年くらいの娘さんが2人ととても賑やかなお家でした。学校から帰ってきてはみんなで誰かの部屋に集まっていました。本当に楽しいホームステイ生活でした。このような素晴らしいホームステイ先に巡り合えたのも学校のHomestay adviserのおかげです。Howick Collegeはとてもホームステイの環境を重視してくれています。ホームステイ先が変わる時など、料理が得意なお家がいいだとか学校の近くのホームステイがいいだとか要望を聞いてくださって、その要望に合ったホームステイ先をいくつか探してくださって、その候補のお家に見学に連れて行ってくださいます。その中から自分に合うなと思ったお家を選べるようにしてくれるのです。なので本当に素敵なホストファミリーに出会うことができました。

この3年間の留学を経て、英語がもっと好きになり、英語をもっと勉強するためにアメリカの大学への進学を考えました。最初は日本の大学に入ることも考え、とても悩んだ挙句、英語力維持と向上するためにはやはり日本ではなく海外の大学に行くことだと思いアメリカの大学への進学をすることに決めました。アメリカで進学するにあたってTOEFLである程度のスコアを取る必要がありました。そんな時にエージェントの方から塾天を進めていただき、塾天に通い始めました。Howickがcityから離れていることもあって週1回しかか通うことができませんでした。しかし、塾天の先生にはとてもわかりやすく教えていただき、英語力がとても伸び、無事目標としていたスコアを取ることができました。通うのは大変でしたが、より深く英語の勉強ができる授業が楽しくて、毎週毎週行くのが楽しみでした。アメリカ留学するにあたってエージェントの方たちもいろいろな話をしてくださったり、学校の先生方も全力でサポートしてくださいました。本当にたくさんの人に支えられたおかげで見事アメリカの大学に合格することができました。本当に皆さんに感謝します。

時にはつらいこともあった留学生活でしたが、とても充実した留学生活を送ることができたと思います。留学したことによって改めて日本の素晴らしさを知ることができ、より一層日本が好きになりました。経験は財産という母の口癖の通りたくさんいろいろな経験をし、自分を成長させてくれた3年間だったと思います。親元を離れて生活することで自立心を養うことができたと思います。私をNZまで送り出してくれた家族には本当に感謝しています。ニュージーランド留学情報センターの方々にもいろいろとご迷惑をかけたと思いますが、私の留学を最後までサポートしてくださって本当に感謝しています。ありがとうございました。

これから留学を考えている方にはぜひNZに留学して欲しいと思います。最初の1歩を踏み出すのはとても勇気のいることですが、いろいろな経験ができ視野が広がる良いきっかけになると思います。最初は不安だと思いますが、行ってみれば絶対好きになると思います。

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お母様より

ニュージーランドでの留学生活によせて

「ニュージーランドは、私の家だから」先日何気ない会話をしていた時に娘が発した一言に、彼女の3年間が如何に充実したものであったのか、再認識させられました。

小さな田舎の小さなコミュニティの中、子供ながらに決められた役割のようなものがあり、いつもどこか不自由で、息苦しく感じる様なような日々を送っていた娘には、ここじゃない世界を知って欲しい、そんな思いだけで、わずか13歳の時、一人でニュージーランドへ3週間の語学留学に送り出しました。なぜ、ニュージーランドにしたかと言うと、私の知る中では最も治安が良かったこと、費用も抑えられたこと、そして何より田舎で育った娘には都会過ぎないことでした。だめもとで切り出した話だったのですが、英語への興味が人一倍強かったこともあり、なぜだか乗り気でパタパタと決めた、初めての留学でした。それだけその時彼女が生きていた世界は重苦しいものだったのだと思います、そこが心地よければ、他に興味が行くはずはありませんよね。

ところが、成田まで送ったものの、出国ゲートからは総てひとり、出国手続きをし、シャトルバスを捕まえての出発ロビーへの移動、さぞかし不安だったことでしょう、出発ロビーから、泣きながら電話をしてきたことを今でも鮮明に覚えています。

「ひとりぼっちになっちゃった、どうすればいいの」
「そっか、寂しくなっちゃったね、そこまで良く一人で行ったね、凄いなすごい、それだけで充分だから戻って来ても良いんだよ。」
そう伝えると、ひとしきり泣いた娘から帰ってきた言葉は、「大丈夫、行ってきます。」でした。

今思うと、まさに彼女自身が切り開いた未来であったと思います。周りからは、鬼のような母だとも言われましたが、彼女の勇気を信じていた私は、とても冷静だったと思います。

3週間後、成田に帰って来た娘の姿は、まるで別人の様にキラキラでした。そして言った言葉が、「私は、高校はニュージーランドへ行きたい。」でした。中学1年生、英語なんて学んではいても全くしゃべれない娘でしたでしょうが、とても温かく迎えてくださったホストファミリーの皆様のおかげで、未来を夢見るエネルギーを、学ぶことの喜びを頂いて来ました。

そこから2年かけての高校留学の準備が始まりました。右も左もわからない上、単身留学の高校生であるので、ニュージーランドの場合ガーディアンと言って、親代わりになってくれる現地サポートが必要なことを含め、エージェントの力がかなり必要だと感じておりましたので、先の短期留学で出会った方々など、いろいろな話を聞いたり、情報収集してみる中で、「ニュージーランド留学情報センター」と出会いました。
主に、メールでのやり取りになるのですが、とにかく返信は早いし、痒いところに手の届くような対応で、しかも余分なことは言わない、シンプルで温かな対応にすっと以前から知って居たかのような感覚でした。頂いたことは、全て冷静で、端的で、安心感以外の何物でもありませんでした。

娘の留学リクエストの第一は、以前お世話になったホストファミリーのお家から通える高校と言うことでしたので、それも少し郊外の交通の便の悪いところでしたので、きっと通常とは違う流れの学校探しだったのではないでしょうか、その中でも非常にわかりやすい丁寧な学校紹介を何校かして頂き、納得して学校を決められたこと、ホストの方たちにも、面接まで受けて頂き、何の不安感もなしに旅立てたのは、感謝以外の何物でもありません。

おそらく、実際に見学に行ってみたところで、学校を決めるということはそんに容易いものではなかったと思います。頂いた情報の方が解り易かったのではないかとも思えてしまいます。おまけに、先ず半年位は語学学校に行ってからの現地校への編入となるのだろうなと思っていたところ、ご紹介頂いた高校はESLが非常に充実していて、留学生一人一人に合わせて1教科ずつ、通常のクラスに入れて行って下さるような、システムが出来ていて、中学卒業程度の語学力の娘でもいきなり現地校で学べるようになったことは、スムーズに環境に慣れると言う部分でもとても良かったと思いますし、3年間通して彼女の成長を温かく見守って頂けた先生方の存在は彼女にとっても幸運なことだったと思います。

余談になるのですが、アメリカ大学進学に当り、日本でいくつかのエージェントを廻ってみたのですが、どこも自分の得意な学校から入り、娘の希望が通らない、言っていることの否定から入るみたいなところがあって、訳のわからない私たちの不安をあおるようなところまであって、別のストレスを感じました。

娘の留学生活は、家と言う基盤がしっかりしていたせいでしょうか、往復とも完全送迎でなかなか自由な時間も持てなかったり、半年間はインターネットを引いてもらえない、電話も極力しない、一年は帰国もしないと、とにかくNZでの生活に慣れる事を最優先に考えられた、厳しいようではあるけれど、ある意味自立して学業にまい進できる環境を頂き、本当に一段一段ゆっくりと階段をのぼるような感じで成長して行く姿を感じることができました、他の方の体験談などを拝見すると、せっかく海外にまで行ったのに日本人がいれば意味がないと言うようなことも時に聞かれますが、英語のままならない娘にとっては、日本人の先輩の存在がとても大きかったようです。自由に日本語で語れる時間があると言うことは、きっと彼女にゆとりを与えてくれたのだと思います、本当に恵まれた環境の中でスタートを切ることが出来ました。

その高校には、日本の高校からの留学生も、中短期あわせて7~8名程が常に入れ替わりでいたようですが、日本に所属の高校を持たない彼女にとって、自らの力でクレジット(単位)を取り、上に上がらなければならない環境は、時に放課後の遊びの計画を立てているクレジットとは無縁の生徒たちを横目に、積み上げられた課題を前に大変なことも多かったようです。でも、そのことが自分の力を伸ばしてくれたと言えるようで、大きな自信に繋がりました。そして、新しい留学生が来るたびに、通訳として、ガイドとして先生方の手伝いをさせて頂いたことも、掛け替えのない体験でした。

途中、学習する上でも、自分の時間が必要となった娘は、悩みに悩んだ末ホームスティを変えるのですが、そこでの生活にも恵まれ、友達の輪を広げ、人間の幅を広げ、勉強も彼女なりに頑張ったようです。
経済的にも、自分の使えるお金と言うものをきちんと自覚し、本当に堅実な3年間を過ごしてくれました、そういう意味でも、大きな体験であり成長でした。そして卒業に当り、「Excellence Award」を頂きました、但し書きでTop Studentと書かれた賞状を見せ、その時娘が初めて、「私、頑張ったでしょ」と、自信に満ちた声で言ったことを、本当に嬉しく聞いたことを覚えています。

卒業を控えた春、初めて家族で娘を訪ね、お世話になって来た皆様にお会いすることができました、ホストファミリーの皆様にも学校の先生方にも、本当にたくさんたくさんお褒めのことばを頂き、そして充実しきった娘の姿を目の当たりに、本当に留学させて良かったとしみじみと思いました。その訪問の際、ニュージーランド留学情報センターの会社の方にも立寄らせて頂き、会社の皆様にもお会いしたのですが、やはり初めてと言う感じが全く感じられないほど、良く知った仲のような気がしました。学期ごとに学校に足を運びその姿を御報告頂いたり、成績表が出ると、和訳して送って頂いたり、ビザの申請から、病院など困りごとがあると早急に対処していただけたり、事後報告も確認も非常に細やかにして頂き、どんな時も本当に頼りになる存在でいて頂け、その安心感がベースにあったことが、娘の留学を意義あるものとして頂けた原点だと思っております。

進路に関しましても、娘の話をよく聞いて頂き、家庭の事情も含めた上で、アメリカの大学への進学と言う道を自己決定できるようにして頂いた後は、塾天の方で、必要なTOEFLのスコアが取れる様、短期間に力を伸ばしていただきました。少し時間はかかったものの、自らの力で自分が行きたいと思うアメリカの大学にエントリーし、入学許可を頂きました。しかも、TOEFLのスコアが功を奏し、クロスカルチャースカラシップと言って、留学生に学校で支給される奨学金も頂ける様になり、決して裕福でない私どもの救いとなりそうです。ずらずらと思いのまま書かせていただきましたが、娘の留学を通し、娘の成長のみならず、掛替えのない体験を家族皆でさせて頂きました。

先日、思いがけず、NZに里帰りすることができました。不意の訪問に、皆さんそれはそれは手放しで喜んで下さったようです。それは、娘の姿を通して、我が子をNZに留学させたいと言う娘の母校の中学生の親御さんの要望で、そのお嬢さんをNZの地に体験にお連れする機会を頂いたからです。
何と言う嬉しい言葉でしょう。彼女の姿を通して、夢や希望を膨らませてくれる後輩がいると言う喜びはきっと、未知の国アメリカでの大学生活の力になってくれることでしょう。そして私たち家族の誇りです。先の、大学エントリーに当りましても、成績表をはじめ、さまざまな公式な文書が必要で、卒業後にも関わらず、不慣れなアメリカへの送付等、古屋さまにも、学校の先生方にもたくさんお世話になりました。入学許可を頂いた旨、お礼と共にお知らせしましたところ、どなた様からも本当に温かな彼女の自信にもなるようなお言葉をかけて頂き、大きな希望を持って新たな学びの地アメリカへ旅立つことができそうです。

身も心もまっさらで、綺麗すぎるが故、いじめ抜かれた中一の春、毎日口から出る言葉は「死にたい」「何故私を産んだの」そんな言葉ばかりでした、「そんな体験があったからこそ今がある、いじめてもらった子に感謝するよ」とまで言えてしまう娘の、真の姿に出会わせて頂いた留学にただただ感謝です。

日本の不登校体験から脱出、まずは短期留学体験で自信をつけた。(本人・母親)

なぜ留学しようと思いましたか?
不登校の状態が嫌で変わりたいと思ったから。

留学を決意するまでどんな気持ちでしたか?
将来の事が不安だった。目標も無くて毎日がつまらなかった。

ニュージーランド到着時の気持ちなど。
着いた時は不安しかなくて、ワクワクなどはしませんでした。一番驚いた事は高速道路が無料だった事です。

語学学校について
先生もとても優しかった。教室に暖房がなくて寒かった。友達ができるか、英語が通じるか不安だったけれど、沢山の外国の友達ができて楽しかった!!

ホームステイについて
みんなとても優しかった。ご飯もまずいのかとおもったら、そんなこと無かった。とても美味しかった。

今後について
まだ考え中です。

ニュージーランド留学情報センターについて
皆さんがとても良い方でした。こまめに連絡をくれたり、とても優しかったです。

後輩へのアドバイス
不登校の方は一度留学してみるといいと思います。自分に自信がつくと思います。

ーーーーーーーー ここからお母様より ーーーーーーーーーー

中学を不登校になり半年余り、娘も私も今後の進路や居場所を探し求めていました。日本が合わないのであれば海外に可能性が見つけられないかとネットで調べ、あらゆる情報を娘に伝え続けました。しばらくして毎日何をするにも否定的だった娘が、今の状況を変えたい、ニュージーランドに留学してみると言ってきました。

それからは何社かに問い合わせ、娘と共に面談にも向かいました。数ある会社の中でニュージーランド留学情報センターにお願いしたのは、度重なる私どもの問い合わせのメールに直ぐに答えて下さり、担当の方の回答からにじみ出る人柄でした。また日本で徳永さんに直接お話を聞く機会があり、留学の良い事ばかりでなく厳しい事も敢えて言って下さったので、ここなら安心して娘をお任せできると決めました。留学までの準備にも現地で便利で役に立つ情報を教えてもらい、初めての留学する娘には実際とても助かったのです。

娘は留学中は私と連絡は取らないと宣言して旅立ちました。そうは強がっていても実際は不安で飛行機で大泣きし、2日目には帰りたいと泣きながらの電話、四六時中泣き言のラインが始まりました。なんとか頑張って欲しくて私も励まし寝不足で娘に答えていた時、担当の方から「私達スタッフ、ホストファミリー、語学学校のスタッフ、そして 何より娘さん自身の力を信じてみませんか。」と言われ大事な事に気付かされました。長い間の不登校で親の私自身が娘に自信が持てなくなっていたのです。その直後、心を鬼にして娘とのラインを絶ちました。

その後の娘は周りの人たちに支えられて次第に環境にも慣れ、不安だった学校生活でもたくさんの多国籍の友達もでき楽しく充実した毎日を送りました。そして無事に留学から笑顔で帰国することができました。待っていた私に第一声、「楽しかったー! ニュージーランドに行かせてくれてありがとう!」と言ってくれました。身の回りのこと、一人で起きること、電車通学、初めて出会った海外の子達と英語で話すこと、英語で買い物をすること、困った時の対処、様々な事を自分で出来たことが自信になったようです。また今後の目標もできたようです。

不登校の娘には自分に自信がつく体験が日本ではなかなか経験出来ません。しかし海外留学だからこそ、それが多く経験できたと思います。私自信もまた離れた娘と向き合うことで、親として考えを見直したり気付かされたことが沢山ありました。

思い切って短期でも留学させて良かったと思います。ようやく不登校からの第一歩を親子で踏み出しました。
ニュージーランド留学情報センターの徳永さんはじめスタッフのみなさん支えて下さってありがとうございました。またお世話になる時はどうぞよろしくお願い致します。

現地大学へ進学編

オークランド大学へ現役入学!たくさん努力しました。お父様談あり。(本人・父親)

<ご本人から>
私がNZへ来たのは中学校3年生の夏休みの時でした。 今考えると、日本の中学校での勉強も終わってないのにNZへ来るのは周りの人から見たら変だったと思います。中学に入ってから、父が「NZに留学してみないか?」と提案してきてくれました。小さい頃から海外へよく旅行に行っていたのですが、いざ1人で行って勉強してみろ。と言う提案には、すぐには「行く」とは決められませんでした。

素直に言うと、絶対行くもんか。と言う気持ちでした。中学の英語の先生が意地悪で英語が大嫌いでしたし、日本の高校に行きたかったし、友達と離れるのも嫌でした。ですが、中学2年生の夏休みの時、旅行もかねて2週間の短期留学を母としました。日本の学校とは全然違い、とても新鮮で、ホームステイの家族がとてもフレンドリーで優しかったのを覚えています。しかし、英語が全く出来ず、会話も全然かわせませんでした。その時はいい思い出がたくさん作れたので、すぐに留学しようと決めました。
しかし、すぐに現地の高校へはいるのにはそれなりの英語力が必用です。日本にいるときに英会話教室へ通っていましたが、それでもNZで生活していくのには足りないくらいだったと思います。そこで父が語学学校に半年間通うように勧めてきました。NZの現地の高校は2月スタートなので中3の夏から行かないと入学に間に合わないのです。しぶしぶそれを承諾し、NZ留学をスタートさせました。

語学学校には、母国語が英語じゃない人しかいないので、簡単な英語で会話が出来たし、みんな優しかったのでとても楽しかったです。授業もすべて英語、課題も英語、先生も英語しか喋らない。と言う環境は最初は慣れませんでしたが、半年が経つ頃にはそういう環境にもなじめて、NZで生活するのにも慣れました。

12月から2ヶ月間日本に一時帰国して、翌2月Glendowie Collegeと言う現地の高校に入学しました(Y11)。GlendowieはCityからバスで25分位の所にあり、Mission Bayと言うビーチからは15分くらいの場所です。とても安全な場所でCityからも近いしいい場所です。学校は日本の学校とシステムが違うので最初は戸惑ってばかりいました。しかしMs.Walkerと言う優しい留学生専門の先生がいたので安心でしたし、わからないことがあったり、問題があるときはいつもニュージーランド留学情報センターのスタッフの人が助けてくれました。しかし、英語はまだ難しく、高校の先生やkiwi(現地)の高校生は語学学校の先生よりも早く喋るので、何を言ってるかは最初のうちは理解できませんでした。それでも学校は楽しかったです。学校は毎日3:20ぴったしに終わるし、お昼の掃除もないし、日本の学校みたいに厳しい校則はないし、ランチは校内だったらどこででも食べていいからです。日本の高校がどうかは分かりませんが、わたしから見るとNZの高校の方がのびのびしているし、自立できるし、良いと思います。

沢山ある学校の行事の中で特に楽しかったことはPE(体育)のキャンプとボールパーティーです。Yr11の時に取っていたPEで、二泊三日のキャンプがありました。最初は戸惑いましたが、みんな私が分かるようにゆっくり喋ってくれたり、助けてくれました。ゲームを沢山し、グループの子と自炊をし、学校の校内に居るだけでは出来ない貴重な時間をクラスメイトと過ごせました。Yr12/Yr13になるとボールと言うのがあって、映画に出てくるような、ドレスをきて、メイクをばっちりして、パートナーを連れて行くダンスパーティーのような物です。普段はあまり喋らないような子とも話を出来たり、思い出を沢山作れて良い経験が出来ました。

英語をもっと勉強するためにニュージーランド留学情報センターの「塾天」に通い出したのはYr11の途中くらいだったと思います。私はIELTSと言うテスト用の勉強を主に、reading, listening, writingなどを勉強しました。塾天で習う英語は、学校や日常会話などにも応用出来ました。Yr13まで3年間続けられたのは、塾天の先生が優しくとても分かり易く教えてくれたからです。
来た当初は、父に「3年だけの留学」と言われていましたが、Yr12になって大学の話になると、NZの大学に行っても良いと言われました。最初は私もどうしようかと考えていましたが、どうせ3年間NZの高校で勉強したんだから大学もNZで頑張ってみようと思いました。しかし、Yr12になって勉強もすこし難しくなり、中学3年レベルの数学しか分からない私は、数学がだんだん分からなくなってきました。そんな時、塾天で数学の先生を紹介してくれ、数学の塾にも行くようになりました。元々数学が苦手でしたが、先生が本当に分かり易く教えてくれたので、良い成績が取れました。Yr13になってからは数学の科目を2つ取り、大学に入るためにさらに頑張って勉強するようになりました。テスト前は塾天に週何回も通い、自分でも勉強を沢山しました。しかし、父や母などは私がAuckland Universityには受からないと思っていて、私自身も100%受かるとは思っていませんでした。Faundationコース(予備校)の学校の見学にも行き、NZに帰ってくる飛行機のチケットもFaundationの入学にあわせて取りました。勉強があまり好きではない私でしたが、あまりにも受からないと言われたので、意地になって沢山勉強をしました。塾天の先生も私の勉強を沢山助けてくれました。

結果、私はAuckland Universityに受かり今はAUで勉強をしています。
今までサポートして下さったニュージーランド留学情報センター(EX Company)の方々、色々ご迷惑をかけましたが私の留学のサポートをして頂きありがとうございました。塾天の先生方、私が飲み込みが遅いのに長い間教えて頂いて本当にありがとうございました。

<お父様談>
長女のNZ留学は父親である私の我がままでの決定です。
自営で輸入貿易業を営んでいるものの英語の勉強を全くしていなかった私は、常に言葉のハンデを感じていました。そこで娘には、英語で不自由しない=Global =人生の選択種が増える= Chance増、を期待しニュージーランド留学を進めていきました。

場所はカナダ、オーストラリア、アメリカ、フィリピンなど他に候補もありましたが、事前調査で物価がリーズナブルで、しかも安全で住みやすい所を考慮するとニュージーランド以外に考えられませんでした。
すぐに私自身が何度も渡航し、家族を休暇に幾度か連れて行った後、中2の夏休みに母親と一緒に短期留学、中3の夏休みからはニュージーランドの語学学校へ入学しました。その際、地元の中学へはNZ高校進学する事、中学卒業式には一時帰国し出席したいと伝えて行きました。

当初、娘が寂しくて「やっぱり帰国したい」、「英語になじめず不登校」などマイナス点も考えましたが、娘の強さを信じて送り出しました。もちろん、いろいろな苦労や葛藤が本人にはあったと思いますが、娘は「なんとかなるよ」で全てのNZ生活を楽しんでくれた上に、自立心もあっという間に付き、本当に留学させて良かったと思います。

ニュージーランド留学にあたり、高校卒業時には帰国し日本の大学か専門学校と私は考えてました。現地大学は娘には学力的に無理と父親自ら勝手に決め付けていた訳です。ところが、高3の4月ぐらいに突然Auckland Universityに行きたいと言い出し、ビックリ。勉強をしている姿を見ていない上、中学の成績から考えたら無謀としか言いようがありません。娘には浪人は無し、落ちたら帰国のつもりで勉強しなさいとだけ答えました。その後、ニュージーランド留学情報センターの塾天に通い、週末は自宅でも勉強していたようです。

12月に一旦帰国、大学入学通知を待っていたところ 、年明けの1月15日に入学許可通知が届きました。娘の努力と皆さまのサポートで夢が叶い、本当にミラクルのように感じ、話を聞いたバスの中で目頭熱くなり、涙が止まりませんでした。実は、留学以前にオークランド大学が目の前に見えるマンションを購入していました。娘又は息子がこの部屋からオークランド大学へ通うことをイメージし、その日が来るまで賃貸に出して6年。今では娘が友人とこの部屋から毎日学校へ通っています。徒歩5分の通学。私の夢も叶いました。

日本から遠いニュージーランドに可愛い我が子を送り、我々ではケアできない多数の出来ごとをニュージーランド留学情報センターの方々がサポートしてくれました。きっと親には言えないことも相談していたと思います。徳永さんをはじめ皆さまへ本当に感謝しております。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

語学学校>ネルソンガールズ高校>バーンサイド高校>オタゴ大学(本人・母親)

<ご本人談>
私が、NZに留学した理由は、中学1年生のときから英語が好きで、英語の勉強をもっとやりたいという気持ちから留学することに決めました。 私は、英語を上手くなりたいという気持ちが強かったので、ネルソンの高校に入ったとき、日本人が結構多くて日本人だけでかたまって、日本語でしゃべったりするのは好きではなかったです。それで、できるだけ英語をしゃべるように心がけました。でも、そのために日本人の友達と上手くいかなかったり、寮生活で相談する人がいなくてホームシックになったりしたときはつらかったです。また、体重が軽いということで、寮のドクターに病気のように言われたときも、すごくつらかったです。

でも、ニュージーランド留学情報センターのおかげで、クライストチャーチのBurnside High Schoolに転校してからは、学校が楽しくて、友達もいっぱいできて、勉強もみんなすごく熱心なので、私も頑張りがいがありました。先生もとても熱心に教えてくださり、インターナショナルオフィスのスタッフも、とても優しくて、つらいこと、楽しいこと、悲しいこと、なんでも話を聞いてもらいました。 私が、高校時代でいちばん印象に残っていることは、学校から行ったイタリア・ギリシア旅行です。そこで、私は、最高の友達が見つかり、それ以降、その友達といっしょに遊んだり、パーティーをしたり楽しみました。それだけでなく、私は彼ら、彼女たちと親密に話をすることで、自分の英語の力がうーんと伸びたと思います。ようやく、みんなと同じように、若い子達(teenagers)が使う英語に馴れることができたように思います。 彼らとは、大学に入って、住んでいる場所は離ればなれになったけれど、また再会したときは、昔のままの気持ちで話ができます。

大学進学を決めるのは、本当に悩みました。でも、日本の大学に進学して英語を専攻しても、留学して以来4年半の間に身に付けた英語の力を維持し、さらに発展させることは難しいだろうと思い、NZの大学に進学することに決めました。さらに、私が勉強したいと思っていた「栄養学」については、NZでなければ英語で勉強できないことも残る理由でありました。 しかし、高校卒業と同時に大学に入るための大学入学資格をとることは、難しかったです。特にESOLのlevel 2をクリアするのが大変でした。ほかの教科もNCEAのlevel 3をクリアするのにたいへん苦労しました。 先生方や友達にいろいろ助けてもらって、ようやく希望していたオタゴ大学のHuman Nutritionに入学することができました。 大学での勉強はうわさ通り、また予想していた通り、ほんとうに大変ですが、新しい友達もたくさん出来て、楽しく大学生活を過ごしています。

私は留学生活を通して思うことは、外国に住むということ、留学して学ぶということは、なかなか厳しいものだと思います。 文化、生活習慣、ものの考え方が、日本とは違う外国で、周りの人たちと上手くやっていくということは、実際経験するまでに思っていたより簡単ではないと思います。 また、勉強も学年が上がるにつれて難しくなり、一生懸命勉強しないと、やはり英語力の不足を埋めることはなかなかできないと思います。 でも、私が、NZで今までがんばってこられたのは、自分ひとりじゃなかったからだと思います。いつも友達がそばにいてくれたし、留学情報センターの方たちは電話で悩み事を私が納得いくまで聞いてくれました。また、自分のほうからSOSを発すると、必ず周りの誰かが、私を助けてくれて、問題を解決するのを手伝ってくれました。 留学するときにいちばん必要なことは、人とコミュニケーションをとることだと強く思います。コミュニケーションをとってさえいれば、絶対に道は開けると思います。 留学することは、決して楽なことではありません。しんどいこともいっぱいあります。でも、そこで経験することは全て、自分の人生において、とても大事なことだと思っています。 これからも、まだまだ留学生活が続きますが、がんばります。 私の留学において、留学情報センターの方々からのサポートはとても大きな励ましでした。また、私が忙しくて連絡できないことを、スタッフの方が、日本にいる両親に連絡してくださって、両親もとても安心できたと思います。 留学情報センターのスタッフの方々には、ほんとうに感謝しています。ありがとうございました。

<お母様談>

中学3年生の9月に、ニュージーランドに留学するため、一人日本を発ちました。ネルソンの語学学校で5ヶ月間英語の勉強をして、ネルソンの高校で2年間、そして、クライストチャーチの高校で2年間勉強して、現在、ダニーデンにあるオタゴ大学で、Dietitianになるために一生懸命勉強しています。

<留学の決意>
ちひろは英語が大好きで、中学3年生になって、高校は、家の近くにあるインターナショナルスクールに進学を希望していましたが、ちょうど、2年生の春休みにニュージーランドでホームステイをしたときのエージェントの方が、ニュージーランドへの留学を紹介してくださいました。 夏休み明けにニュージーランドに行って、語学学校に通い、翌年の2月からYear 10に入ることを勧められました。Year 10に入るということは、中学3年をダブルということになりますが、言葉の問題が少なくてすむというアドバイスに納得しました。しかし、ちひろはその当時、中学校生活をこの上なくエンジョイしていましたので、友達と別れるということが、いちばん辛かったようですが、自分の夢を実現するために、悩んだ末、留学の道を選びました。

<ネルソンの学校>
語学学校に通っている間お世話になったホームステイでは、本当の娘のように可愛がってくださり、娘もホストマザー、ホストファザーを慕っていました。その方は、現在もニュージーランドのお父さん、お母さんのような存在で、何度も助けてもらい、励ましてもらい、今も娘を支えてくださっていて、私たちも感謝の気持ちでいっぱいです。 ネルソンの高校は、日本とは違い、人との競争ではなく、自分のペースで勉強できるので楽しくやっていたようですが、寮生活になったため、自分の気持ちを聞いてくれる「親」のような存在がいなくなり、ホームシックになって、かなり辛い思いをしたようです。 また、学校と寮において、日本人がかたまって行動し、日本語でしゃべり続けるのがイヤで、日本人と距離をおいたために、日本人の友達と上手くいかなかった時期もあったようです。 Year 10, Year 11の2年間を通して、精神的にしんどい時期が続き、たくさん食べても体重が増えない、むしろ減るという状態が続きました。学校のドクターから「摂食障害」と言われて、たくさん食べているのに「もっと食べなさい」と言われ続け、毎週体重測定という厳しい状況の中で、ニュージーランドでの留学生活をもう止めようかというところまで切羽詰っていました。私もメールや電話で話を聞いて、励まし、支えてきましたが、これ以上は無理だろうと思い、Year 11が終わったら、日本の高校に編入することを考えました。しかし、娘の本心を尋ねると、やはり、高校を卒業せずに留学を途中で終えることは、絶対に後悔すると思うから、本当は留学を続けたいと言うのです。

<ニュージーランド留学情報センターとの出会い>
ネルソンの高校では、私がほとんど学校と直接連絡をとっていて、とても難しいことだと実感していました。それで、インターネットでたまたま見つけた「ニュージーランド留学情報センター」に、娘の状況の詳しい説明と、私の不安の全てを長い、長いメールにして送りました。すると、翌朝、留学情報センターから、私が聞きたいこと、不安に思っていることに見事に答えてくださるメールが届いていたのです。娘をニュージーランドに送り出して以来、初めて私の気持ちを分かってくださる方が現れた!と、そのメールを読んで、涙があふれました。あぁ、これで、娘も命が救われると思いました。 そして、娘がニュージーランドで留学を続けるために転校することに決め、留学情報センターが転校手続きなど、てきぱきと進めてくださいました。初めはウエリントンの高校を選んでいましたが、転校決定となる直前に、クライストチャーチにあるBurnside High Schoolに入りたいと言い出し、ニュージーランド留学情報センターのスタッフの方は、急な変更にも全て応じてくださり、転校手続きを短期間で完了して、無事、Burnside High Schoolに入ることができました。 彼女の人生は、Burnsideに転校したことで大きく変わり、ほんとうに良い選択をしたと喜んでいます。これも、ニュージーランド留学情報センターの方々のお陰だと心から感謝しています。

<Burnside High School での生活>
Burnsideはたいへん大きな学校で、アジア人は多いのですが、日本人留学生が少なく、娘にはよかったと思います。また、勉強に対する生徒の姿勢が真剣で、ネルソンのときより、勉強する環境がいいと喜んでいました。学校にすぐ馴染んで、友達をたくさんつくることができました。そして、Year 13のとき学校から行ったヨーロッパツアーで、彼女にとって大切な親友ができ、高校生活は、彼ら、彼女たちのおかげで、ばら色の人生になりました。 ただ、娘にとって、クライストチャーチでのホームステイの生活は、気を使い過ぎる性格のためか、居心地のいいところは少なかったようです。2年間で、5回ホームステイを変更しました。その度に、留学情報センターにお世話になりました。ホームステイでの辛さを留学情報センターのスタッフの方にいつも聞いてもらっていて、精神的にずっと支えてもらっていたようです。そして、スタッフの方からは、私のほうに、娘が今どのようなことで悩んでいるかなど連絡してくださるので、私もとても心強く思いました。

<大学進学>
日本の大学に進学するのか、ニュージーランドの大学にするのか悩みましたが、娘が学びたいと思っていること、また就きたい職業がニュージーランドの大学でなければ不可能だろうということで、Year 13の7月にオタゴ大学のHuman Nutritionに進学することを決めました。その後、大学入学資格を得るために、高校での勉強はなかなか厳しいようでした。しかし、先生方や友達に支えてもらって、ようやく大学入学の許可がおりることになりました。オタゴ大学でHuman Nutritionを学んでDietitianになり、摂食障害の人たちを助け、指導する仕事に就きたいと思っているようです。以前、彼女自身が摂食障害と言われ、食べ物や体重、精神的な不安定に苦しんできたからこそ、この職業に強く憧れるのでしょうか。留学生活を振り返って、娘がここまで留学を続けてこられたのは、やはり、留学情報センターのスタッフの皆さまをはじめ、周りの方々の支えがあったからだと、心から感謝の気持ちでいっぱいです。そして、また、彼女の努力、そして、友達を大切に思う気持ち、さらに、自分の力では無理だと思ったとき、必ず、周りの誰かに声をかけ、助けを求めるという積極性、これらのことが、留学生活を続けてこられた要因ではないかと思っています。 これからも続く、ニュージーランドでの留学生活、今まで支えてくださったたくさんの方々への感謝の気持ちを忘れず、これからも、自分の夢の実現に向けて、大きく羽ばたいていってほしいものです。

高校>Foundationコース>オークランド工科大学(本人・母親)

私が初めてここAucklandについた時、「うわっ!何もない・・・」と思いました。私は大阪生まれ、大阪育ちのバリバリ都会っ子なので、まじもうムリ・・・と思いました(笑)。たくさんの緑と空気も全然違い、とてもビックリしました。

● ホームステイ
私がここに来たとき、高校生でした。なので、ホームステイに住むことになりました。私のホームステイはとても大きな家で、犬もネコもいて、そしてお母さんと16歳の女の子と21歳の大学生の息子がいました。初めての日などは、私はとても気をつかいまくって、上手に話せませんでした。でも、ホストファミリーはみんなすごく良い人で、すぐに馴染むことが出来ました。特に21歳のホストブラザーとその友達とは、一緒にビリヤードしにいったり、ドライブに出掛けたり、とてもEnjoy(楽しむ)しました。今はもう高校を卒業し、一人でシティーに住んでいるので、あまり会う機会がないけれど、たまにテキストメッセージを送ったりして、今でも関係を続けています。

● 高校生活
初めて学校へ行ったとき、驚いたことは、日本の学校と比べて、とても広かったことです。日本の学校は上に高く土地が狭いのに、こっちの学校は学校の面積も広く、教室もたくさんあります。もう始めの頃は迷ってばかりでしたが・・・。現地の人たちは、始めはこわくてとっつきにくかったけど、最後の方は仲良くなり、Partyをしたり、映画を見に行ったりと、とても楽しかったです。授業は、始めは難しく、先生の言っていることを理解するだけで精一杯でした。私は、数学、コンピューター、ESOL(留学生用英語)、日本語、そして音楽を勉強していました。

音楽については、私は、ピアノを日本でずっと習っていたので少し安心していました。しかし、1つの学期に多くて3つもPerformance(発表)しなくてはいけなくて、しかもPerformance中は先生がビデオで撮っているので、とても緊張しました。1学期に3つというのは結構大変で、私は2学期から入ったけれど、10曲くらい発表しました。幸運にも、ホームステイにピアノがあったので、毎日最低30分は練習するようにしました。

● Foundation course(大学進学準備コース)
Foundation Course(大学進学準備コース)は、高校とは違い、大学に行きたい人たちだけが集まっているところなので、高校とは雰囲気が違い、みんなピシッとしています。毎日9:00-5:00まで、そしてテストのある前の日には6:00まで授業があり、ぶっちゃけ、とても大変で、とても焦りました。
数学や経済学、会計学を学習しましたが、今までに、経済学や会計学を勉強したことがないので、ニュージーランド留学情報センターの人に家庭教師を捜してもらい、放課後には更に2時間ずつ勉強を見てもらいました。学校も家庭教師も宿題が出るので、勉強漬けの毎日でした。
勉強はとてもつらいけれど、学校はとても楽しかったし、よっぽどのことが無い限り、毎日学校へ行き、友達とジョークを言い合いあいながら頑張っていました。

● ニュージーランド留学情報センター
ここの人たちはとてもみんな良い人で、おもしろく、いつも真剣に私の話を聞いてくれるのでうれしいです。私のとてもしょうもない話でも、いつもニコニコ笑いながら聞いてくれて、友達のような感じで接することができます。社長の徳永さんは、始めはこわい人と思っていたけれど、なんかすっごくへんな人でおもしろいです。スタッフの人たちは、私が病気で大変な時には、すっごく心配してくれて、私のホストにわざわざ電話してくれたり、とても助かりました。かといって、18歳を越えている私の場合には、そんなにゴチャゴチャ言われることはなく、とても楽しく充実した日々を過ごすことが出来ました。月に一度は会社の方へ遊びに行き、無駄話をしてかえっていたこともありました。ニュージーランド留学情報センターの人たちはとても熱心に親切に教えてくれる、助けてくれるのでとても助かっています。

ーーーお母様よりーーー

初めは心配ばかりしていました、文化や風習の違う所でやっていけるのかと・・・
本人が決め留学したのですが、理想や夢など現実とはかなり違っていたと思います。長期の留学は、今思えばすごいな、よく頑張ってるな、偉い子だなとおもいます。親が思っているより子供はたくましいものです。留学を通して親子でたくさん学びました。

日本人としての誇り、日本人としの長所、短所を感じたり、またホームスティでの生活で他人との生活の難しさ、楽しさをたくさん感じたようです。日本にいると考える事がなかったと思います。帰国するたびに、人への感謝、心に痛みを感じる子に成長している姿を見ると、離れている悲しみを幸せに変えてくれます。

海外での生活では自己責任と最近よく言われますが、やはり人との関わりがないと生活が成り立ない事も実感したようです。言葉が上手く通じない分、心の繋がりが大事です。この多感な時期に海外留学できた事は、本人にとっても一生の財産になると思います。チャンスがあるのならば、たくさんの子供に留学を体験してもらいたいと思います。しかし子供の性格もありますので 簡単にいかないかもしれません、幸い娘は、人とのコムニュケーションが上手く楽しく過ごせたようですが、内向的な子は少ししんどいかも知れません、でもそうゆう子こそ、海外留学を体験し、夢を現実にしてもらいたいと思います。

そして、安心できるサポート会社に出会えた事です。無事に卒業できたのもたくさん相談に乗ってもらったり、アドバイスを頂いたからだと思います。感謝しております。娘には、今後も色々な体験をもとに世界中の人と仲良くし、輝いた人生を送って欲しいと思います。子供に刺激され私もシニアスティーしたいと思うようになりました。

ーーー大学卒業後にご本人から再度ーーー

Foundationコースにいる間は、やはりビジネスを勉強しようと思い勉強しつづけていました。ただ私の知り合いの人が上海でビジネスを始め、その頃ちょうど中国という国がどんどん大きくなっている時であったこともあり、いろんな人に相談をした結果、中国語を専攻することにしました。未だになんでNZで中国語?って言われるんですけどNZ生活が長い私は他の国に行くということはまったく考えてなく、NZに残る結果になりました。

私が行った学校はオークランド工学大学(AUT)です。1番良い大学がオークランド大学(AU)と言われる中、私が選んだのはAUTでした。 AUTは語学を勉強するのには1番良いと聞いたからです。
小さなクラスなので先生に質問するのも簡単、クラスメイトとの仲も深まり、よく金曜にはクラスメイト何人かと先生とでランチに行ったりもしていました。私の友達はAUで中国語をとっていましたが、40人やら50人やらの大人数の中で勉強をしていたらしいですが、もちろん勉強内容はほとんど変わりません。ただAUTの方がプレゼンテーションが多いのかな?と感じました。

私はDiploma(つまり短大レベル)だったので2年の通学でした。3年行っておけばBA(学士)としてもっと私の将来に役立てたかもしれないけれど、勉強の苦手な私には2年でびっちり勉強できてもう十分です・・・。1年目の前期で、その後授業についていけるかが決まります。もちろん日本人の私は漢字が書けるし読めるし有利でした。ただ発音がほんとに難しくて、大阪人の私の中国語は既に大阪弁なまりの中国語になっているときもありました。1年の頃は日本人は私を入れて2人。そして韓国人とkiwiが大半を占めていました。特に韓国人はdouble major(専攻を2つとること)で日本語と中国語を選択している子が多く、ほとんどのクラスメイトの韓国人は私に日本語でしゃべってきたので、彼女たちと中国語で会話する機会は授業中しかなかったです。笑) その点kiwiの人たちは中国語に興味があり勉強しているので、すごいいっぱい話します。中国語の発音はkiwiの人たちには簡単なんです。RやらLの発音は昔から日本人が苦手な発音と言われますが、kiwiの人たちはもちろんすらすら話すんですよ。でもその一方で、私は漢字はできるので書き順を教えてあげたり意味を教えてあげたりしてました。

前期は、本当に基本的な事(例えばmy name is…とか)や文法やら書き方を勉強したり、リスニングで耳を慣らしたり、pinyinつまりローマ字読みみたいなのを使ってどう読むかとか、どう発音するかの勉強をしました。1年目の後期からは書く機会が増え、readingの試験やspeakingの試験もありました。ほんとに最後の最後まで私はspeakingに手こずっていました。先生は私の発音をいつも一生懸命理解してくれようとしていたみたいです。笑

私の専攻科目が中国語でも、選択科目として他の科目も勉強しないといけません。中国文化のクラス、バソコンのタイピングの仕方を学ぶクラス等を受講しました。中国文化のクラスの1年目では、自分の国について約3000文字のエッセイが課されました。もちろん中国語でなのでそんなに多い感じはしなかったけれど、もう未知の世界という感じで、毎日毎日中国人の友達にヘルプしてもらっていました。

2年生はもう本当に時間がたつのが早かったです。すごくいい先生に恵まれて授業にもついていけたけれど、1回でも授業をミスするともうついていけないくらい進むのが速かったです。毎週金曜はlistening、 speaking、 writingの小テスト、もちろんこれは本試験ではありませんが、小テストでも最終成績には響くのでどれも手を抜けませんでした。授業のある日は、ほとんどクラスメイトと1日を過ごした感じがします。なんせ大学は1教科2時間やら3時間というスケジュールなので、授業が9時に始まり11時に終わりみんなでランチに行くことが多かったり試験前はクラスメイトと中国語で会話をしながら問題を一緒にといたりほんとに忙しかったです。

もちろん2年になっても 選択科目はあり、2年目はスペイン語を勉強しました。スペイン語はなかなかおもしろくて為になりました。ある私のクラスメイトはスペイン語の方が面白いということで専攻を変えてしまった程です。 この選択科目は、他に日本語を専攻にしている人たちも一緒なので、色々な人と出会う機会があって楽しかったです。まー私は日本人なので、みんな日本語で話してきてなんだか日本にでもいるような気分でしたけど、それはそれで良かったです。2年目は忙しかったけどそれなりに充実して、すごく濃い1年を過ごせました。

BA(学士)に変えてあと1年半勉強しようか、本当に悩みました。ただ海外生活がものすごく長い私はなんとなくNZで仕事をしたいという気持の方が大きくなって、一応Diploma(短大終了レベル)の形で卒業しました。クラスメイトの何人かは今最終学年をがんばってるみたいで「ユミ戻ってこいよ」ってメールとかもらいます。やっぱり一緒に勉強して協力しあった仲間がこうやって今でもたまに連絡くれて元気か~?とか言ってくれるのはとても嬉しいですね。

今年はほんと不景気みたいでなかなか私がしたい仕事がみつかりません。今は、1年間open work visa(就労許可)っていうビザが発給されているので、それで残っています。初めてもう学生じゃないことを実感し、学生がどんなに楽かと思ってしまいました。でもこうやって悩む時期も私には必要と思うことにしています。そしてこの時間でなにかできることをやろうと考え、やっと車の免許を取る気になりました。海外にもう7年くらいいるのにやっと免許取る決心がつきました。笑 ただこの1年が私にとってとても大事ということもよく分かっているので、真剣に色々考えようと思っています。

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