パイロット ただ今修行中
E-CUBE
ファーストフライトの感動は今でも忘れられません。
平野元哉
1980年生まれ。神戸出身。95年阪神大震災にあったことからニュージーランドの高校に来る。高校卒業後、99年からArdmore Flying Schoolに通いパイロットの道を目指す。自家用操縦士免許取得後、現在までに230時間の飛行時間を保持し、事業用操縦士免許を取得するため訓練を続けている。高校時代にプレイしたことで今でも試合があると決まって観戦するほどのラグビー好きでもある。

オークランドの南、Ardmore Airportに隣接する学校でパイロットの訓練を行っている平野元哉さん。ニュージーランドに来たキッカケは、あの出来事があったから。
「中学3年の時からいわゆるアメリカンスクールに通っていました。小学校の同級生が通っていたこともキッカケにはなりましたが海外留学や英語に興味があったことが大きな理由でした。アメリカンスクールに移って10ヶ月ほど経った頃でしょうか。忘れもしない95年1月17日。兄たちと一緒に部屋で寝ていたときに、あの出来事は起こりました。阪神大震災です。
 1月17日早朝、近畿地方を襲った大地震です。多くの建物が崩れ落ち、犠牲者を出した世界が注目した出来事です。
寝ていた私たちに突然おそってきた地震があまりに大きかったため、私たちは何が起こったのか理解できませんでした。地震の揺れが収まると一変して私たち家族の生活は変わってしまいました。通っていた学校はまっぷたつに倒壊してしまいました。学校に通うことが出来なくなってしまったのです。
それから、家族みんなでボランティア活動を行って過ごしていましたがニュージーランド人だった学校の英語の先生に家族が相談して、海外留学、ニュージーランドの高校に通うことになりました。初めは英語を含めた海外生活に大変苦労しましたがそこでラグビーに出会い、プレイするなどしながら学校生活を送り、98年に学校を無事卒業することが出来ました」


学校卒業で一旦日本に帰国していた平野さんは両親と進路について話し合いをした。
「私はパイロットになりたいと思っていました。ですから、高校の進路相談でもフライトスクールについて調べてもらったりしていました。というのも日本でアメリカンスクールに通っていたときに行ったアメリカで、ジャンボ機のコックピットを見学したのです。そのとき見たコックピットから見る外の光景やいろいろな計器などが引き詰められたコックピット内の様子が忘れられなかったのです。そのときにパイロットという職業にあこがれを持ったのでした。
 両親からは本当にパイロットになることが出来るのか?勉強は大変ではないのか?など心配されました。普通のサラリーマンと違ってパイロットになっている人が周りにいるわけではありませんから話し合いには時間が必要でした」


授業は、週6日、毎日8時半から17時半までみっちりと行われ、学科試験に必要な航空無線、気象学、航空工学、航空航法、法律、航空人体の6教科について勉強することになった。
「航空無線ではパイロットと空港や空の交通を管轄する管制官が連絡を取る際に使われる無線についての知識を学びます。無線はいくつかの周波数を持っており、航空無線では割り当てられた専用の周波数を使っています。そのため、どの周波数を使えばいいかを知らなければいけません。また、飛行中はもちろん離着陸でも管制官から許可を受ける必要があるため、それについての手順を勉強します。気象学では天気図を読むための知識、雲、霧、風などの種類や性質を学びます。それらの知識を持つことによって飛行計画を立てる際に天気図から目的地までの天候が今は晴れていて、着く頃には雨になるといったことを予測したり、飛行中、前方に積乱雲と呼ばれる雲が見えたら進路を変更してさけなければいけないといった危険回避ができます。積乱雲はジャンボ機でもさけて通るほど飛行に危険をもたらす雲だからです。
 航空工学では操縦する飛行機の仕組みについて、航空航法では目的地までの距離、飛行機の重量などと天気図から予想されることを総合的に計算して必要な燃料を割り出す、フライトプランと呼ばれる飛行計画を立てるのに必要な知識です。
 法律では軍事施設がある空域に入るには許可が必要だとか夜間飛行についてのきまりを勉強します。また、ニュージーランドではヘリコプターなどでハンティングに行ったりすることもあるので移動中の銃器の管理方法などを知らなければいけません。
 最後に航空人体では航空生理、心理学を過去の事故例をとりあげながら勉強します。この科目は他の外国では要求されませんが、世界の航空事故発生のほとんどがパイロットによる原因という事実から、安全に運行するためには勉強をしなくてはいけない科目です。
それらを勉強して学科試験を受け、無事合格しました。学科では3、40人の生徒がいたのですがそこまでいった頃には半分以下になっていました。
 その後、飛行訓練に移りました。自家用操縦士免許取得の最低飛行時間が50時間と決まっており、その間にいろいろな課題をクリアしていかなければいけません。
 初めて飛行訓練を行う日、私は教官の横に座って見ていればいいのかなあぐらいにしか考えていませんでした。ですが、座席に座ると操縦桿を握って、パワーアップ、と教官から言われました。心の準備が出来ていませんでしたが言われるがままに操縦することになりました。授業で学んだ航空無線の手順や教官の指示により、離陸体制に入り、滑走路を走りました。そして、機体が浮いたのです。
 初めの数時間の飛行は操縦に慣れることが目的であるため、離着陸を繰り返します。サーキットと呼ばれる、離陸して、低空で飛行場の周りを少し飛行して着陸することを繰り返すのです。ですから、機体が浮いても高さはそれほどありませんでしたが自分が飛行機を操縦していることからとてもうれしかったのを覚えています」


いろいろなシュミレーションを通して経験を積んでいった。
「ファーストフライトから15時間ほど経った頃です。教官が一人で飛んでみろというのです。はじめての単独飛行です。入学してきた生徒が持つ1番最初の目標です。
 初めて飛んだときとは違って、決まっていた高度より超えて飛んでしまう失敗をするほど、飛行中終始緊張をしていました。そのときは地上に無事着陸してから感動しました。
 その後、ミスを無くし一人でも飛行できるように経験を積むことを目的として、規定の飛行時間をクリアするために飛行を増やしていきました。
 そして、自家用操縦士免許を取得した私は現在、事業用操縦士免許を取得するために訓練を重ねています。
 事業用操縦士免許はプロパイロットとして働くための免許です。取得には、自家用免許を取得していること。また、自家用の学科をさらに深くした内容の気象学、航空工学、航空航法、法律、航空人体と新たに加わった飛行の原理について学ぶ学科である航空力学の6学科の試験に合格すること。実技試験と第一種航空身体検査に合格することが必要です。
 飛行時間も増え、最低飛行時間は150時間必要となり、シュミレーションを通して多くのことを経験します。
例えば、教官が飛行中エンジンを切り、飛行機が失速した状態から機体を立て直すということや緊急着陸を行います。危険を想定して、それに対して素速く対処することを体で覚えていくのです。

 規定の飛行時間を超えた私は試験を受ける時期を考えながら学科の勉強と飛行時間をさらに増し経験を積んでいます。免許取得後はこの国で就職したいと考えています。そして、澄んだニュージーランドの空を飛び続けたいです」


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