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看護婦
ニュージーランドで看護婦として働きたいと思っている人達に情報を提供していきたいと思っています。
武井 純子
看護婦
1973年4月生まれ。千葉県出身。
現在、凝っている料理はイタリアン。今後はニュージーランドで看護婦をされている方や、これから看護婦になりたいと思っている人と交流を持ちたいと考えている。
オークランドのアレキサンダー競馬場の南側にあるグリーンレーン病院。そこに武井純子の職場はある。ワーキングホリデービザで2000年10月に入国。現在はオークランドで心臓・胸部外科病棟の看護婦として忙しい日々を送っている。
 「高校卒業後、准看護学校、看護短大へと進み正看護婦の免許を取りました。そして地元の総合病院で3年間働き、ワーキングホリディに来ました。
 子供の頃から英語圏の国に住んでみたい、働いてみたいという漠然とした夢みたいなものがあったんです。といっても子供のときの夢ですから働き始めた頃には忙しくてすっかり忘れていました。ただ、私の友人でアメリカのフロリダに住んでいる人がいて、彼女の話を聞いているうちに、自分もやっぱり海外に行きたいという気持ちが出てきました。
 最初は友人の影響でアメリカに行こうと思っていました。しかしアメリカでは私のやりたい看護婦の仕事をするには再度資格を取らなくてはいけないので、あっさりとあきらめました。目的地をニュージーランドにした理由は気候や自然環境、治安の良さ、といったところでしょうか。アウトドアで過ごすことが好きな自分にとっては最高の環境ですね。そしてなにより日本の看護婦の資格がニュージーランドでも認められているということです。ニュージーランドと日本では教育課程がほぼ同じで免許の書換えが可能だということを知ったからです。
 日本で就職してから1年ぐらい経った頃に英会話学校に通い始めました。1番優しいレベルからスタートして約2年間、仕事をしながら学校に足を運び、仕事以外ではなるべくネイティブスピーカーと接する機会を持ち、なんとか日常生活に支障がないくらいまで会話ができるようになりました」
 ニュージーランドで看護婦になること。
 ワーキングホリディの目的は最初から決まっていた。しかし、日本の資格を持っていれば誰でも看護婦になれるというわけではない。乗り越えなければならない壁がいくつもある。もっとも大きく、目に見える形で現れるのが英語であった。


IELTSのアカデミックで7ポイントのスコアーが必要なんです。私はワーキングホリディで勉強の仕上げをしようと思っていました。
 まずは英語学校のIELTS準備コースを4週間受講しました。そこでどういう勉強方法をとればいいのかを学びました。それからはフラットで1日に最低3〜4時間は机に向かいWritingとReadingの勉強を続けました。 
本屋でIELTSと書いてあるテキストを片っ端から買い、解いていきました。数にして14、5冊ぐらいだと思います。その他、少しでも空いた時間には新聞、雑誌、本を読むようにしていました。集中力を維持するためにすべて自分の興味のあるものばかりです。本は話題の『ハリーポッター』です。もし今だったら『ロード・オブ・ザ・リング』かもしれませんね。
 ListeningとSpeakingはキウイとのコミュニケーションの時間を多くとるようにしました。コミュニティーの料理教室や、ワインテイスティング、それからヨガにも行きました。ノースショアの老人ホームでもアルバイトをしました。パブに行ったときに話しかけた女性が偶然にも老人ホームのマネージャーだったんです。そこで看護助手の仕事をさせてもらいました。食事やシャワーやトイレの介護などが主な内容です。そこでの経験はテストのための英語だけでなく、現在の仕事で使っている英語にも役に立っています。
 そのときは生活のすべてが英語の勉強に直結するようにしていました。常にこれはListeningのため、これはReadingのため、といったように意識をしていました。パブに行っているときでもSpeakingのためと思っていたくらいですから。ちょっとストイックかもしれませんが、それでアルバイトも見つかりましたので結果的にはよかったと思っています。そのかわり、土曜と日曜は完全オフにしていました。


オークランドに着いてから4ヶ月、1回目のIELTSテストを受けた。結果は6ポイントのスコア。目標までは届かなかった。その後再度テストを受け01年5月には7ポイントのスコアをとった。

「IELTSの結果を含めた必要書類を集めて、ナーシングカウンシルに提出して1、2週間後にニュージーランドの看護婦免許が送られてきました。そしていよいよ就職活動です。オークランドホスピタルで募集案内をもらい、現在務めているところも含めて3件くらい応募しました。日本であれば病院に応募、ということになるのですが、こちらは自分が希望する病棟や科に直接応募します。私の場合は日本で一般外科、心臓外科、脳外科の経験があったので整形外科や心臓胸部外科などに絞って就職の希望を出しました。
試験は基本的に面接が中心になります。面接官はその病棟や科のマネージャーが行い、日本での経験や志望動機などを聞かれました。オークランドホスピタルでは緊張と試験に対しての予備知識が無かったので、うまく受け答えすることができなかったのでしょう。結果は不合格。よほどガチガチになっていたんでしょうね、未だに面接のことは、はっきり覚えていません。次に受けた今の職場ではいくらか緊張も解け自分を十分アピールすることができました」


01年の7月からグリーンレーンホスピタルの心臓・胸部外科病棟で勤務することになった。このときのビザはワーキングホリディであった。
「ここの病棟で働いている人の国籍は様々です。キウイばかりでなくフィリピンやアフリカ、近隣の島から来た人たちもたくさんいます。それが私にとっての第一の壁でした。というのもその人達の訛りのある英語を理解することから始めなければならなかったからです。当然、相手も私の日本語訛りを理解するのに時間がかかったと思いますよ。ですからお互いにコミュニケーションをとることで必死でした。
それと、ここの病院の決りごとを体で覚えるのに苦労しました。例えば私が日本で働いていた病院では検温の時間が10時と2時だったんですが、ここでは9時と1時と5時。普通の人が聞いたら時間が変わるだけだと思うかも知れませんが、そういった定期的な仕事は体が覚えているので、その時間が近づくと自然に「あっ、そろそろ検温の時間だ」と思い出すんです。その時間が初めは狂っていたので一日がうまくリズムにのっていないような気がしていました。」


基本的な仕事は日本もニュージーランドも同じであるという。01年の10月に永住権を取った純子はオークランドでの仕事に十分な手ごたえを感じている。
「私たち看護婦は技術や知識などの習得に応じてレベル1〜4まで分けられています。レベル1からスタートしてある一定の基準に達すると上がっていきます。それには講義を受けてレポートを提出、みんなの前でのプレゼンテーションを行い、そこで認められなくてはなりません。各病棟には教育担当の看護婦がいて、その人が全看護婦のレベルを上げるためのプログラムを組んでいます。日本での経験があるので私はレベル2からのスタートでした。今では週一回行われる講座は楽しみの1つにもなっています。時間的にも無理のないシフト体制なので勉強する意欲も湧いてきます。
また今の病院では看護婦一人当たりに対しての患者さんの数が日本にいた頃に比べて少なくなっています。そのため私達は患者さん一人一人の状態をじっくり考えながらケアをすることができます。
今後は私も色々な知識や経験を得てさらに多くのことを学んでいきたいと思っています。また、同じ日本人で看護婦として働いている方がいれば交流する機会を持てればいいと思っています。そしてなにより、私のように日本で看護婦をしていた人で、この国でも働きたいと思っている方に情報を提供していき、仲間を増やしていきたいと思っています」
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