ボートビルダー 技術を生かして仕事中
E-CUBE
アメリカズカップで証明されたNZのボート製造技術のクオリティに挑戦
布施弘太郎
Salthhouse Marine Group Boat Builder
1970年生まれ。神奈川県出身。尾道海洋技術専門学校卒業後、ヤナセのマリン部で働く。ボートビルダーを志し、97年にワーキングホリディでNZに渡航。当初は英語が苦手であったが、アルバイトで働いたフレンチレストランで克服。その後、現会社への採用が決まり、ペイント部門を経てボートビルダーになる。今でもケーキ作りは得意であるという。

船大工とも言うべきボートビルダーになることを目指してNZに来た弘太朗さん。多くの会社に何度もアタックして、入社後は人の何倍も努力してそのポジションを得た。そして、現在はニュージーランドのボート製造会社への発注は、国内だけでなくオーストラリアやアメリカを中心に年々増加傾向にあるため、休日返上で作業を行うことも多いと弘太朗さんは言う。
渡航のキッカケ
 日本では高校を卒業した後に海洋技術の専門学校に行き、そしてボートのエンジニアをしていました。ところが勤めていた会社のマリン部門が縮小されて自動車の部門になってしまったのです。もともと海やボートが好きでこの職に就いていたので、移動になってからは、仕事を続けることに疑問を持ちました。それで自分がやりたいことはなんだろうと考えたら、舟を自分で作る、ボートビルディングが浮かんできたのです。
 そして、それをするなら海外の方がいいんじゃないかと思ったのです。アメリカとかヨーロッパなど、色々な国を考えました。そこで出てきたのがニュージーランドでした。というのも、色々な面で最適だったのです。国としてそんなに大きいわけではない、生活水準も日本と同じくらいで、そしてボートに関する技術が高い。ボートの技術に関しては私の憶測ではあったのですが、当時アメリカズカップで優勝した直後でしたから、絶対に技術はあるものだと信じていたのです。


面接の日々
 この国に来たのは97年のことでした。最初は下見を兼ねての旅行でした。実際に、どんな国なのか?どんなボート工場があるのか?といったことを見ておきたかったのです。運がいいことに、その時にある工場の人と話すことができて、この国に来たときには修業してみる?と言ってくれたところもあったのです。それで、よしこの国でボートビルダーになろうと思い、すぐにワーキングホリディのビザを取って渡航しました。
 着いてすぐに、下見で来た工場を訪ねました。すると工場の中はカラッポでした。どうやら倒産したみたいで、誰もいない上に連絡先さえも残っていませんでした。来てすぐに、アテが外れてしまったのです。
 しかし、落胆している時間はありません。ビザは一年しかないのです。次の日から面接の日々が始まりました。CVを持って電話帳で調べたボートの会社に片っ端から押しかけていきました。英語がぜんぜんだったので電話でアポを取って、なんてことはできません。直接行くしかありませんでした。
 実際に行って「自分はこの国にボートを作りに来た、これをやらなきゃ帰れない、掃除でもいいからやらせてくれ」とアピールしました。相手の印象に残るかなと思って、時には同じ会社に2日続けて行ったりもしました。
 しかし、結果はすべてダメでした。原因は英語だったと思います。肝心な部分で通じていなかったのだと思います。


レストランでのバイト
 そうこうしているうちに、お金がなくなってきました。このままでは帰国しなければなりません。ここは一旦、ボートはお休みしてアルバイトをすることにしました。やはり飛び込みです。カフェやレストランに行き、お茶を飲んで、帰りのレジで「マネージャーいますか?自分は皿洗いのバイトをしたいんだけど」と言って手当たり次第に探したのですが、ことごとく断られました。
 ところが、続けていくうちに一軒だけオーナーと気が合う店があったのです。内容はお互いに好きなバイクの話でした。1時間以上、その話題で話し込んで「じゃあ、明日から来なよ」と言われてバイトが決まったのです。
 それで次の日から皿洗いのバイトを始めたのですが、店では一心不乱に働いていて気がついたら、デザート作りそしてサラダを任されていました。凝り性な性格も手伝ってか、私もクッキングに目覚めてしまい、シェフに教えてもらいながら、自分でも研究しました。いかにおいしく、フレッシュなサラダやデザートをお客さんに出せるかということをテーマに、シェフの料理を出すタイミングと、お客さんの人数や食べるスピードを計算してサラダやデザートを作り始めるタイミングを調整していました。
 これはこれで楽しかったのですが、自分の目的はあくまでボートビルダーでしたからバイトのない午前中は面接、午後はレストランという生活を3ヶ月ほど送っていました。
 そうしているうちに、知り合いから今の会社の社長を紹介され、家にCVを持ってお邪魔する機会がありました。そこでもおもいっきり自分をアピールしたところ「そこまで言うなら明日からおいで、その代わりダメだったら即クビだよ」と言われ、いよいよボート工場で働くことができるようになったのです。
 そのことをレストランのオーナーに告げると「お前がいなくなるのは寂しいし、できればこのまま仕事を続けてもらいたいけど、お前の気持ちもわかるから、がんばって来い、その代わり週末は一緒に飲もうな」と言って送り出してくれました。


念願かなって
 ボート工場で最初に与えられた仕事は、ボート組み立てに関わるものではなく、仕事で使う工作機械の修理でした。そんなものを修理したことはなかったのですが、これはやる気をテストされているなと思い、完璧に直しました。その後ボートを磨いたりする、ちょっとした仕事が少しずつまかされていきました。些細な作業の連続でしたが、誰よりも完璧にこなすように努力は怠りませんでした。その甲斐あってか、ワーホリのビザが切れる時に社長にワークビザサポートのお願いをしたところ「一生懸命に働いていたからサポートするよ」という返事がもらえたのです。ただ、申請はしたのですがなかなか取れなかったため、一度日本に帰国して待ち、99年の年明けにビザもおり、晴れてニュージーランドに戻ってくることができました。
 それからはボートの塗装の部署に配属されました。ここではとにかく自分の納得のいく仕上がりができるように没頭し、他の人がやらないことをやるようにしました。ペイントと一口に言っても奥は深く、特にニュージーランドや、ボートの発注の多いオーストラリアでは紫外線が強いため、ペイントの出来具合いかんで本体の強度にまで影響してきます。
 仕事で使っている塗料は2つの液を混ぜて使用するものなのですが、それをただ、説明書通りの割合で混ぜるのではなく、その時の温度と湿度によって微妙に割合を変えるのです。テストパッチを使って割合を変えて試し、ペンキの特性を掴んで、アレンジしました。するとペンキの乗りだけでなく、強度も変わってきたのです。それは乾いたあと指で押してみれば明らかでした。
 また、最後の仕上げでペーパーをかけるときも、ただ単に磨くだけでなく、かける場所場所に集中しました。これは音楽を聴きながらの仕事だと言う人もいるかもしれませんが、自分にとってはとんでもない話です。ペーパーをかけるということは、塗装を削るということですから、その量をなるべく少なくした方が強度は強いに決まっています。それを考えると慎重にならざるを得ませんでした。最終の仕上げでは水を使うのですが、その水も一回一回替えていました。作業場は非常にホコリっぽい場所です。そのホコリが水に入ってその水を使って磨いたとしたら、本当に細かいのですが、キズがついてしまいます。それは目には見えない程度のものかも知れないのですが、そのキズがつくことは自分にとっては納得のいく仕事をしたことになりませんので、手間がかかっても水を取り替えていました。
 そして2年後には、ペイント部門のリーダーになっていました。ただ、これではまだボートビルダーの仕事をするという目標には達していませんでした。そこで、会社が組織替えをするときにビルダーの部門に移らせてくれと頼んだところ、聞き入れられたのです。


ボートビルダーとして
 ボートを作るのは完全なチームワークです。常時1つのボートに15〜20人が携わり形にしていきます。自分はフライングブリッジといってボートの2階の部分でビルダーとしての仕事を始めました。この部分の骨組み、床、柱、屋根、壁、窓枠、家具などのインテリア、コックピットなど、すべてのものを作ったり組み立てたりしていきます。最初は先輩について一つ一つ覚えていきましたが、ここでも丁寧に仕事をしてくうちに、一人で任されるようになりました。現在はフライングブリッジだけでなく、1階や、デッキの部分も担当するようになりました。
 うちで作っているボートは完成までにおよそ8ヶ月かかります。ここ数年で発注数が増えてきています。特にオーストラリアからの注文が多くなっています。スピードが速いボートの形を作れるということ、そして、オーストラリアで作るよりもコスト的にリーズナブルであるということが多くなっている要因だと思います。発注が伸びているのはうちの会社だけでなくニュージーランドのボート業界全体がジワジワとですが成長しているようです。
 そういう背景もあって、あと数日で収めなければならないボートが数台有り、ここのところ毎日のように残業が続いています。休みも返上して作業をしなければならない日も少なくはありません。これは体力的にも精神的にもかなりハードになってきます。しかし、この仕事で一番の喜びを感じる瞬間である、港にボートを降ろして、オーナーに引渡して、シャンパンを割るセレモニーを味わうと「よし、次もがんばろう」という気になれるのです。

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