銀行員 英語の達人、その秘訣
E-CUBE
銀行のカスタマーサービスは将来へ向けてのファースト・ステップ
ヴィンセントひとみ
ASB BANK Customer Services Officer
1968年生まれ。宮崎県出身。中学生の時に行ったアメリカでのホームスティがキッカケで英語に興味を持ち、高校卒業後はアメリカへ留学、約5年間過ごし英語力を身に付ける。日本へ帰ってきてからはリゾートホテル勤務や英語学校教師などで英語を使う機会はあったが、本人の納得できる量ではなかった。30歳でNZのワーキングホリディに来る。フラットメイトの友達として旦那さんに出会い結婚。結婚後、約3年経った後、再び社会に出ようとASB銀行で働き始める。

オークランドの街の中心クイーンストリートにあるASB BANK オークランド支店でカスタマーサービスオフィサーとして働くひとみさん。
彼女は日本では接客業をはじめ英語教師、OLなどさまざまな職業に携わってきた。
それは自分の可能性を模索し、伸ばすためであり、今後もそれは変わらないと言う。
現在の仕事に就いたのもキウイの社会で働く第一歩として最適な職場であると考えたからである。
興味から留学へ
中学生のときにアメリカのシアトルでホームスティをしました。その時のホストマザーが日本人だったのです。彼女は見た目や言動は自分の母と変わらない普通の日本人女性だったのですが、英語をぺらぺら話すことができたのです。それを見たときに、日本人でも英語が話せるようになるんだと思いました。それがきっかけで、もっと勉強してみたいと思うようになったのです。その後もホストマザーとは交流を持ち、日本の私の家に遊びに来てもらったこともあります。高校生になってからも英語への興味は消えることはありませんでした。学校ではごく普通に英語を勉強していました。そして卒業と同時にアメリカへ留学したのです。
 場所はやはりシアトルでした。再び前にお世話になったホストマザーの家に戻ってきたのです。最初はボケーショナルスクール(Vocational School)という職業学校のようなところへ通いました。そこでは最初、歌を歌ったり、本を読んだりまるで幼稚園へ行っているみたいでした。そして次第に新聞の切抜きを読んだり、明日は何のホリデーなのか話し合ったり、いわゆる一般知識を得るためのクラスでした。今思えば、英語を学ぶ上で、その国の文化や風習を知る事は大切だったと思います。普通のアメリカ人が普通に習ってきた歌や、読んできた本を知らなければ彼らの会話にはついていけないからです。ですから、今にして思えばそこで学んだことは大変有意義なことだったと思えるのですが、私は英語を学びに来たのにどうして、こんなお遊びみたいなことをしているのだろうと思っていました。それでも約9ヶ月通いました。
 そんな思いの中、ここでは英語は話せるようにならないということで、大学に行くことにしました。しかし英語の力の関係でいきなりは無理ですから、最初はワシントン大学にある英語が母国語でない人が英語を学ぶセカンドランゲージコースに進みました。
英語で考える毎日
ここから英語との格闘がスタートしました。科目は文法、ライティング、リーディング、リスニング、スピーキング、発音、ボキャブラリーなど細かく分かれており、3ヶ月が1つの学期で、その間に1つの科目を徹底的に叩き込むという所でした。
 学校では授業中に色々な課題が毎日のように出題されます。例えば「あなたの国とこの国との教育の違いについて調べなさい」とか「コンピューターの発達が生活にどのように役立ったか」というような内容です。それで図書館へ行って資料を集めてレポートを作成するのです。それに加えて毎日英語で日記を書かなくてはなりませんでした。その日記も、日本で言う起承転結を文章につけるよう指示されていました。そんなことをしていると、毎日学校が終わった後は宿題だけで時間を費やしてしまっていました。
 授業中で印象に残っていることはリスニングや発音のときに先生が歌を歌って、私達がそれを書き取ったり、外に出て街の人に色々なインタビューを取り、テープに録音して、学校でそれを聞きながら発音を直されていました。聞き取りや発音は結構大きな壁で、日本人の私には聞こえない音がいっぱいありました。特にアメリカの英語でしたからLittleは「リロー」とか「リロル」と聞こえてきます。「L」と「R」がごちゃまぜになって出てくる単語「Literature」なんかを書き取ったり発音できるようになるためには発音の違いを常に人に指摘してもらい、それを繰り返して練習するしかありませんでした。
英語に触れる量
留学して1年目は普段の生活の中でも相手が何を言っているのかわからない毎日が続きましたし、自分でも言いたいことが言えませんでした。
 そんな時、先生と話をしていて、誰々が入院したという内容のことを伝えようとしたときのことです。自分の頭の中では一生懸命に入院という単語を考えていました。しかし相手にはあっさりと「ああ、in a hospitalね」のようなことを言われたのです。これを聞いて私は、こんな簡単な表現でもいいんだと思ったのです。それまで英語を考えるときには自分が勝手に難しく考えていたのですが、もっとシンプルに考えればいいんだと思ったのです。すると気持が軽くなりました。そして自分が何か言えば、相手が他の表現を使ったり、間違っている場合は正しい表現に直してくれます。それを今度は自分が使うという余裕も出てくるようになったのです。
 その後はサンフランシスコに移り大学の旅行科に通いました。ここでは更にレポートの量が増えました。A4サイズの用紙に10枚程度で、それが週に1回のペースでの提出でした。図書館に行って百科事典のような厚みの本を何冊か借りてレポート作成に使っていました。毎日膨大な量の英文を読んで、書くという作業が続きました。
 英語の辞書に関して私は来た当時から英英辞書を使っていました。日本から持ってきた英和辞書はポケットサイズの小さなものでしたし、クラスメイトは全員外国人で、日本語で意味がわかっても話が通じませんので、英和辞書は全く役に立ちませんでした。ただ、日本から来ていきなり普通の英英辞書は難しいので、子どもが使う易しい辞書を買いました。それでも最初はわからない単語がある→辞書を引く→読む→その中にまたわからない単語が出てくるので再び辞書を引くという繰り返しでした。やっていて気が遠くなりましたが結果的にはこれが単語の量を増やしてくれました。
 こうしてアメリカにはトータルで5年間滞在していました。幸か不幸か周りに日本語を話す人がほとんどなく、英語だけの生活を送っていましたので英語に触れる量が多かったと思います。 そして毎日、強制的にやらされていた宿題を繰り返したことによって、英語に慣れていきました
日本での仕事
大学を卒業して日本に帰り仕事を探し、リゾートホテルに就職しましたが、研修が始まってすぐに1年でここを辞めようと思いました。新人は職場の人全員の砂糖やミルクの好みを覚えてコーヒーを入れるとか、灰皿を片付けるとか、女性というだけでそういった雑務を押し付ける職場の雰囲気や理不尽な人間関係が納得いかなかったからです。きっと若かったためそういったことに強く反発していた部分もあるのだと思います。
その後はワーキングホリデーでカナダへ行ったり、日本でOLや語学学校で英語を教えたりして過ごしていました。そしてニュージーランドへはワーキングホリデーのビザが取得できるギリギリの年齢のときに来ました。日本ではほとんど英語に触れることなく生活していましたので、再び英語に触れたいと思ったからです。この国に来てすぐにフラットや仕事を探しました。そうしているうちに主人と出会って結婚、そして家庭に入り、出産でした。
銀行を選んだ理由
結婚後は仕事をしていませんでした。しかしこのままでいくと、もう二度と仕事ができなくなると思い、もう一度、社会に出ようと思ったのです。そういった気持ちは常に持ち続けていましたので、ヘラルド新聞は毎日読んでいました。どんなに時間がないときでもヘッドラインは一通り目を通すようにしていました。また、英語力をキープするために自分の興味があり読みやすい内容のエンターテイメント記事は必ず時間をかけて読んでいました。それは今でも変わりません。
情報を得る手段にはインターネットもありました。実際に銀行の仕事を得たのもインターネットの仕事探しのサイトからです。就職しようと決めたときからはそのサイトを毎日チェックしていました。その時は職種に対して強い希望はありませんでした。それよりも今後いろいろな仕事を続けていく上で、プラスになる内容の仕事や職場を探そうと思っていました。
 私達、日本人が求職した場合、相手は必ず英語力をたずねてきます。ですからニュージーランドで最初に就職する先は、その後に転職した場合でも前職の履歴を相手が見たときには英語力を問われないような名前の有名な会社がいいと思っていました。そんなこともありASB BANKの求人を見つけたときはすぐに応募していました。申し込みやCVなどはすべてインターネットでの送付でした。
 すると数日して相手から電話がかかってきました。そこではやはり英語に関しては大丈夫かという質問が来ました。そして仕事内容や提出したCVの内容確認があり、最後に面接があるから来ますか?ということで10分ぐらいで電話は終わりました。そして数日後に面接、入社テストに出かけたのです。
面接
面接も入れてテストは半日かかりました。面接では4人の面接官と話をしました。そこでも英語のことは問われました。そのほかには今までしてきた仕事の中で自分が一番良くやったと思うことは何?ということも聞かれました。答えた内容は覚えていませんが具体的な例を挙げて答えていたような気がします。とにかく目の前に4人いて、1人はしきりにメモをとっていましたので、終始緊張していました。特にメモをとっている人のペンの音にプレッシャーを感じました。ただ、自分は日本語ができるということと、色々な国に住んでいたので、色々な人に対応できるということは忘れずにアピールしました。
 面接を終えたときはもうダメだと思いました。それで開き直って次のロールプレイテストに進みました。それは面接官がお客さん役でこちらが銀行員という設定で行われました。内容はお客さんが預金をしに銀行に来たという場面です。予めAプラン、Bプランという異なる2つのタイプの預金の詳細が書いてある紙を渡され、それについて説明するものでした。
 テストはお客さんがドアを開けて入ってくるところから始まり、私が銀行員としてどのようにお客さんに対応するのかをチェックされました。一番大変だったのは対応よりもAプラン、Bプランの詳細を短い時間で理解して説明することでした。ただ、このテストでは開き直っていた分、笑顔をキープすることができました。
 そして最後にコンピューターを使っての筆記試験でした。設問は全部で100問くらいで制限時間は40〜50分でした。3択であったり、文字を入力するものであったりと出題形式はバラエティに富んでいました。設問内容は心理テストのような一般常識のようなもので、覚えている設問では「お客さんが-の文句を言いにきました。あなたならどう対応しますか」という内容でした。
 こうしてすべての試験が終わったときにはぐったりしていました。自分では最初の面接の時点で絶対に不合格だと思っていましたので、いい経験ができたと思っていましたが、数日後に支店で面接があるという電話があり、とりあえず向いました。
 そこでは改めての仕事の内容確認、いつから始められるか、もし働くとしたら給料はいくら欲しいかなどの話をしました。今にして思う唯一の失敗は「給料はいくらでもいいです」と言ってしまったことでしょうかね。30分くらい話をしたところで支店長は「Welcome to ASB BANK」と私に言いました。話の流れから、もしかして私は採用されるのかなという雰囲気はあったのですが、まさかその場で言われるとは思っていませんでしたので「本当ですか?」と聞き返してしまいました。
カスタマーサービスは入門コース
面接から2週間後に仕事が始まりました。最初の1週間は研修センターで銀行全体のことや庶務手続きなどを学び、その後すぐにカウンターに立ちました。カウンターに立った日の印象ですが、緊張よりも、カウンター業務は立ち仕事なので「足が痛い」でした。
 それ以降、個人のカウンターを4ヶ月、外貨のカウンターを3ヶ月、インフォメーションを1ヶ月、商業用のカウンターを1ヶ月と各セクションを順に回っていきました。そして現在はヘッドテラーといってお客さんとダイレクトに接するところではなく、お金を管理するセクションにいます。そこではATM、各窓口の現金を常時チェックし、帳簿上の収支と実際の現金の照合をしています。そして毎朝、本部に100ドル紙幣を何枚、50ドルを何枚などと、お金の発注をしてATMや各窓口への現金の補充、多すぎる場合は送り返す作業なども行います。
 私が現在勤めている銀行のカスタマーサービスはキウイの社会で仕事をする上では入門コースみたいなものだと思っています。それは広く門戸が開かれているからです。求人に対して応募してくる人の中で一番多いのがビジネスのディプロマを持った人だというのは周りの同僚を見ていてわかります。ただ、高校を卒業したばかりの人から、私のような子どもがいる人まで広い範囲から人材を確保しています。入門コースの理由としてもう一つはこのポジションの人達はだいたい一年半から二年で辞めて昇進試験を受けるか、転職していきます。実際に転勤する人も含めて、毎月確実に2、3人は人の入れ替わりがあります。言い換えれば私が勤めている支店だけでも毎月、常にそれだけの人数の求人があるということになります。
 私もこのままASB銀行に残るか、新しい職種を探すかという具体的なことはまだ決めていませんが、将来的には、現在のポジションに留まることなく、次のステップに進みたいと思っています。
ひとみさんの英語習得方法
1. レポートの宿題により英語を読むことと書くことの量を増やした
2. 常に自分の英語の発音をネイティブに指摘してもらう
3. 何度も単語を引くことになるが、最初から英英辞書を使う
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