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 小論文通信講座 <問題と解答例1>


問題

次のコラムを書いた筆者は、都内の大学で教鞭をとる比較法学の研究者です。筆者はここで「国境を超える身ぶり」ということを話題にしています。この文章を読んだ上で、「コミュニケーション」における「身ぶり」が果たす重要性について、あなたの考えを六〇〇字以上八〇〇字以内で述べなさい。(句読点、改行による空欄を含む。なお字数の不足・超過は減点の対象となります。)  

ゼミ生のタケヒロ君から質問された。「M先生が話しながらカニみたいな動作をするんですが、あれはどういう意味でしょうか。」
 Mさんは、一橋大学で英米法を教えているオーストラリア人の同僚である。完璧な日本語を話し論文も日本語で書くが、生徒に英語力をつけさせたいという親心もあって、講義はぜんぶ英語である。
そのMさんが、講義中、「ひじを九〇度に曲げて両腕を開き、両手の指をチョイチョイと前に曲げる」というのだ。
 この謎の「カニ動作」の正体はすぐに判明した。欧米語の引用符号(" ")の形を指でまねして、「カッコつきである」ことを示しているのだ。念のために日本語で説明すると、「あの人は善人だ」と言うとき、「ゼンニン」という音に合わせてカニ動作をすると、「あの人は”ゼンニン”」だ」となる。つまり皮肉である可能性が高い。 大学同期生で作るメーリングリストでこのことを話題にしてみたところ、世界各国で働いている友人たちから、反響が続々と届いた。アメリカ人もカナダ人もイギリス人もフランス人ブラジル人も、カニ動作をよくやるという。留学帰りの日本人もよくやっているぞ、という報告も複数寄せられた。一部の日本人のしぐさも今や欧米化しつつあるらしい。 一方、日本人に囲まれて暮らすうちに、振る舞いがだんだん日本化してくる留学生もいる。オーストラリア人のディラン君は、一年間の交換留学生としてやってきた。日本語が上手で、すぐに仲間となじんだ。
 そのディラン君、帰国する直前、九州旅行に行ってきた。「つまらないものですが・・・・・」と曖昧に語尾を濁しつつ、ぺこりとお辞儀をして熊本銘菓を差し出す姿は、もはや日本人そのものであった。
 ディラン君と入れ替わりに、オランダ人のレンス君が私のゼミにやってきた。
 スケート好きの私は、十九七二年の札幌五輪で金メダルを三つも取ったオランダのアルト・シェンク選手のことを、今でもよく覚えている。レンス君を喜ばせたくてその話をしてみたところ、申し訳なさそうに、「その人のことは知りません」と言う。しまった、話題が古すぎた。国籍にもこだわりすぎていたようだ。
 その点、若いゼミ生たちのコミュニケーションの方法は、国籍など無関係で、ずっと生きがいい。
 たとえば、メグミさんは、お得意の「仮面ライダーの変身ポーズ」をいきなり披露してみせた。祖国の大スーケターの話に困惑したレンズ君が、今度は破顔一笑してみせた。


回答例 (800字)

 課題文では、「コミュニケーション」における「身ぶり」の重要性について述べられている。そのことについて、以下私の考えを述べていきたい。
 確かに、異文化の人間が異質の「身ぶり」を見るときには、その意味がわからないのは当然であろう。だから、課題文にある「カニ動作」は日本社会の中では異質なものとして理解されなかったのである。しかし、その意味を説明され、それが理解できる「言葉」と「身ぶり」が相まって、「コミュニケーション」はより深くなると考えられる。だから、私は「コミュニケーション」における「身ぶり」はたいへん重要であると考える。
 それでは、なぜ「コミュニケーション」における「身ぶり」が重要なのかについて考えてみたい。まず、第一に考えられるのは、この「身ぶり」はそれぞれの国の文化が背景にあると考えられるからである。日本化した海外留学生が自然にお辞儀をするように、「身ぶり」は、「言語」の習得に伴って身に付くものと考えられるからである。私はニュージーランドに留学している。その私も「So So」と言うときには、手のひらを下に向けて、自然と横に振っていることに気がつくのである。これも、英語の習得に伴って、自然と身に付いた動作である。次に考えられるのは、「身ぶり」を伴う「コミュニケーション」は、人間関係の潤滑油になるということである。やはり、人間関係を構築していくことは難しい。そこで、良好な人間関係を作っていくためには、会話と「身ぶり」の両方が相まっていく必要があると考えられる。課題文にもあるように「オリンピック」の話題よりも「仮面ライダーの変身ポーズ」の方がより「コミュニケーション」を図ることが出来たのは、それを的確に示していると言えよう。
 以上述べたように、「コミュニケーションにおける「身ぶり」の役割は大変重要であると考える。


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